コラム

段ボールの箱、カマボコの板

第二次世界大戦中のフランスを舞台に、ドイツ軍に捕らわれたパルチザンの男たちが一人一人刑場に引かれていく。そんな不条理劇の脚本を書いて、高校演劇コンクールに出場したことがあった。受験を控えていた演劇部の上級生たちはほとんど・・・

続きを読む

世界中、探したのか

若松町の女子医大の前だった。バス停の行列に見覚えのある人が並んでいた。学科の一年先輩で空手部の主将だった小沢さんだ。小沢さんには、私が落ち込んでいた時期に、ぽつんと控室にいたら、「田中、空手をやってみないか」と声をかけら・・・

続きを読む

雨に咲く花

何年か前の俳人たちの飲み会で、突然誰かが言い出して、その場で一人ずつ歌を歌うことになった。カラオケも、歌詞カードもなく、そらで歌える歌を皆がレパートリーから引っ張り出してきた。   一番手は、「ま~だ上げ染めし・・・

続きを読む

バベットの晩餐会

『バベットの晩餐会』の、映画を三度見て、原作を二回読み返した。映画は、19世紀末、デンマークの北海に面したユトランド半島の寒村が舞台である。つましく暮らしている老姉妹の家の晩餐会に、村人たちとたまたま来合わせた将軍の、合・・・

続きを読む

僕の会社

『警察日記』という昔の映画を見ていたら、田舎の警察署に「僕の会社」という額がかかっていた。「?」と思ったら、「僕の会社」ではなく、右から「社会の僕(しもべ)」と読むのだった。主演は、二木てるみ演じる捨て子を保護して、子だ・・・

続きを読む

三碧会

ジョン・ル・カレが亡くなったというニュースが新聞に載っていたので思い出した。今から40年以上も前になる。職場の先輩のOさんから、『寒い国から帰ってきたスパイ』を読んだかと聞かれたのが、ジョン・ル・カレを読むきっかけとなっ・・・

続きを読む

マサチューセッツに帰りたい

ビージーズの『マサチューセッツ』を久しぶりに聞いたら、懐かしさがこみ上げてきてまいった。調べてみると1967年から68年にかけてヒットした曲だった。どうりで。むかし、1960年代で時計がストップしてしまった人がいて、ひそ・・・

続きを読む

おはよう

小津安二郎の映画『おはよう』に出てくる中学生と小学生の兄弟が着ていたおそろいのセーターが、むかし母親がブラザーの編み機で編んで私と弟に着せていたセーターと似ているのに気が付いた。横に一本、大きなシマが走っていて、並ぶと漫・・・

続きを読む

ウサギの一生

家で飼っているウサギに思いのほか大きな腫瘍ができて手術を受けた。それで治るかどうかわからないとも、手術のショックで死んでしまうかもしれないとも、宣告されたというので、そんなかわいそうなことをするよりは安楽死させたらどうか・・・

続きを読む

ヒョンビンと私

韓国の財閥令嬢が乗っていたパラグライダーが、突然の竜巻で北朝鮮まで吹き飛ばされ、木に引っかかっているのを北朝鮮軍将校に見つかり、慌てて落ちてきたところをキャッチされる。韓国ドラマ『愛の不時着』に出てくる北朝鮮軍将校役のヒ・・・

続きを読む

歴史の教科書

高校の世界史の教科書をわかりやすい英語で書いた本が出ていて、読んでみると新鮮に感じられてしばらく没頭した。日本語の世界史は今更通読する気はしないが、これなら通して読める。年を取ったせいか、歴史の中の百年ぐらいの単位が短く・・・

続きを読む

ラジオのある風景

食い物の恨みは怖いといっても、現代の私たちにはなかなかピンと来ない。今は飽食の時代で、食べ物にあふれ、大量の食品ロスをどうするかの方がむしろ問題になっている。しかし日本でも、戦争末期から終戦後にかけて、食糧が枯渇し、人々・・・

続きを読む

地上の幸福

事務所の井田さんのお兄さんは井田茂という天文学者である。いつだったか、何の気なしにテレビを付けたら出演していて、きれいさっぱりと何もない大学の研究室が映っていた。インタビューに来ていた爆笑問題の太田が「なぜ、この研究室に・・・

続きを読む

サルも馬鹿にできぬ

世情騒然としている中で、内田樹の『サル化する世界』を読んだ。サルは、朝三暮四のあのサルである。中国の春秋時代、宋の国にサルを飼っている人がいて、朝夕四粒ずつのトチの実を与えていたが、節約するため「朝は三粒、夕は四粒にする・・・

続きを読む

けなげで可憐な生きもの

寒いねと話しかければ、寒いねと答える人のいる暖かさ。昭和62年に出版された俵万智の『サラダ記念日』に出てきたこの歌は、寒い日には今も口をついて出るが、この感じは、もう今の時代のものではない。人と人が今とは違う仕方で関わり・・・

続きを読む

日本の橋

靖国神社の大鳥居を見上げながら、私はふいに若い頃読んだ保田輿重郎の『日本の橋』のことを思い浮かべた。それは、こんな書き出しで始まる。   「東海道の田子浦の近くを汽車が通るとき、私は車窓から一つの小さい石の橋を・・・

続きを読む

駅・詩篆絵書音

文人というのは、漢詩、書などの他に、画と篆刻ができて、初めてそう呼ばれる資格があると前に聞いたことがある。文人たらんとする者にとって、漢詩と書はありえても、画才に加え、篆刻まで物するのは至難の技である。   元・・・

続きを読む

ローズヒップの実

永い打ち合わせの席でコーヒーにも飽きて、メニューを見たらローズヒップティとあったので、注文してみた。味は、可もなし、不可もなしである。ローズヒップというのは、なんだろう。調べてみたら、ハマナスの実であった。とたんに、網走・・・

続きを読む

その顔が見たくてならない

頼山陽の書は、「なんでも鑑定団」に出品されて、百万とか二百万の高い評価が付くこともあれば、偽物として五千円で片づけられることもある。頼山陽とは、そも何者ぞ。頼山陽は、広島藩の儒学者の子として幼少のころから詩文の才に恵まれ・・・

続きを読む

座右の地図帳

人には「座右の辞書」が必要だが、「座右の地図帳」も欠かせない。ナチス・ドイツものを読んでいて東プロイセンが出てきたとき、どこにあるのかを確認できなければ一知半解にとどまるからである。また日本の戦国時代ものでも、琵琶湖周辺・・・

続きを読む

走れメロン

日本を代表する作家というと、夏目漱石や谷崎潤一郎、川端康成などを連想する人が多いと思うが、彼らは立派すぎて私は挙げる気にならない。私が日本を代表する作家として連想するのは、太宰治である。太宰は、大方の日本人と同じように、・・・

続きを読む

真夏の出来事

真夏の夜は、やはりビールである。コップに注ぐたびに、白い泡が湧き立ち、乾杯のたびに白い泡が揺れる。誰かに言わせると、ビールは人に注いでもらって飲む酒だそうだ。それが呪文のように効いたのか、一人のときに飲むことはもうほとん・・・

続きを読む

きびなごの刺身

九州のある町の炭鉱住宅に私は住んだことがある。1975年の春、私は人を探してかつて炭鉱のあったその町に辿り着いた。Mさんという作家のところに、いるかもしれないと思って訪ねたのだが、見当違いだった。途方にくれている私に、M・・・

続きを読む

イロクォイ族の誓い

たまに立ち寄っていた本屋がなくなって、ドラッグストアに変わっていた。自己啓発本やノウハウ本ばかりの本屋だったが、それでもないよりはましだった。いっそのこと政府が文化財として補助金を出すか、公営の本屋を設けるか、なにか手を・・・

続きを読む

特例適格特別指定特定認定制度

辞書を引くのは、楽しい。なぜ、楽しいのか。辞書を引くときには、自分がいたらないことを認めて、降参して頼っているという感じが、思わず知らず絶対者に帰依しているような充足感を引き出されているからだろうか。それとも、辞書を引く・・・

続きを読む

崎陽軒のシウマイ弁当

クリント・イーストウッド監督・主演の映画『運び屋』が話題になっている。麻薬の運び屋になった90歳の老人が主人公である。クリント・イーストウッドの映画は決して期待を裏切らない。ダーティー・ハリーの面構えは、今も健在で、あの・・・

続きを読む

子どもより親が大事

三鷹の駅前にその昔「山の音」という喫茶店があって、よく通ったものだった。漫画家の山松ゆうきちが近くに住んでいて、打ち合わせに使っていた。山松が借りていた家にも何度か行ったが、山松は宵越しの金を持たないデカダンな表現者の流・・・

続きを読む

弱者の戦略

今は、明るい時代だろうか、それとも暗い時代だろうか。ハンナアーレントの『暗い時代の人々』は、ファシズムが吹き荒れたヨーロッパの暗い時代のことである。それに比べれば今は、暗い時代ではないと思う。しかし、明るい時代だという気・・・

続きを読む

ハラスメント・ハラスメント 

獅子は千尋の谷に我が子を突き落とすというが、もし今の時代にそれをやったら、どうなるか。獅子といえども、ただでは済まない。動物界からの引退まではないだろうが、さすがに百獣の王の地位からは降りることを余儀なくされるだろう。我・・・

続きを読む

漱石が来て虚子が来て大三十日

夏目漱石と高浜虚子がやってくるというのだから、ずいぶん贅沢な大三十日(おおみそか)だ。誰の句かといえば、正岡子規である。明治28年、柴田宵曲の『評伝正岡子規』には、漱石が松山から出てきて大晦日に子規を訪ねたことは記してあ・・・

続きを読む