コラム

思想家の顔

2022年2月18日

 

読んだことはないし、読もうと思ったこともないが、『人は見た目が9割』という本のタイトルを見かけたことがある。ことによると、もう“発禁”になっているかもしれないと思ってアマゾンを見てみたら、まだちゃんと出ていて、「あまりに中身が薄い。本は中身が9割」と読者の皮肉ったコメントが載っていた。そうか、あまりに中身が薄く毒性が弱かったせいで、発禁にならずに済んだのか。

 

人を見た目で判断する外見至上主義の傾向は、そもそも生後14時間ほどの新生児にも見られるというし、猫のような動物にもその傾向は及ぶという。また、ある研究によると、見た目がいい人は収入で平均より2割高く優遇され、昇進も早い。学術の分野でも、見た目がいい人の論文が、人より高く評価される。これをルッキズムといって、世界的にだんだんいけないこととされつつある。作家の筒井康隆によると、「美人」「美女」という言葉も、ルッキズムのレッテルを張られて使いにくくなっており、いずれ言葉狩りにあって、「美人」は消える運命にあるかもしれないという。

 

しかし、こと文学や思想の世界では、ルッキズムはむしろ本源的なものではないかと思う。たとえば、ドストエフスキーやヘミングウェイの文学は彼らの外見そのものだし、魯迅の文学もそうだ。日本の鴎外や漱石、谷崎潤一郎や川端康成、太宰治、坂口安吾、織田作之助なども外見と作品が切り離せない。詩人の中原中也もそうなら、俳人の種田山頭火や西東三鬼もそうだ。

 

ま、ソクラテスは、あの相貌にしてあの人ありきだが、マルクスやケインズがあれだけ大きな影響力を持ちえたのは、外見がいかにもそれらしい雰囲気をたたえていたからだろうし、吉本隆明がカリスマたり得たのも、あの風貌を抜きにしてはありえなかった。その点でいえば、今の日本で思想家の顔を持っているのは内田樹ぐらいのもので、『人新世の資本論』の、名前は何と言ったか、あれは中身もだが、とても思想家の顔はしていない。あっ、これ、完璧にルッキズムですね。