コラム

アクの店

イザベラ・バードの『日本奥地紀行』を読んでいたら、ふとアクの店のことを思い出した。『日本奥地紀行』は、明治11年に来日した当時47歳の英国人女性イザベラ・バードが日本の東北地方を旅して、津軽海峡を渡り、アイヌ部落を訪れて、その生活をつぶさに見聞した3か月にわたる旅行記である。

 

アクの店は、西川口の駅から少し歩くログハウスづくりの外観で、重い扉を開けると中は当時の薄暗いジャズ喫茶だった。もともとアクさんというアイヌの人が経営していたが、アクさんは、ほかの商売が忙しく、店は、鹿児島なまりの抜けない浪人中の私の友人Kと、『遠くまで行くんだ』という同人誌に評論を書いていた痩せて顔色の悪い大谷という文学青年の2人に任されていた。昭和48年ごろの話である。そうそう、もう一人マリという長野出身の埼玉大の女子学生がときどき店を手伝っていた。

 

ちょうど前の下宿を追い出されて転居先を探していた私は、Kが見つけてきたアクの店の近くのアパートに引っ越した。前の下宿は、ちょっとした屋敷の瀟洒な洋間で、けっこう気に入っていたのだが、あるとき訪ねてきた哲学者の根井さんと酔っ払って深夜まで議論していたのを、大家さんから注意されて、根井さんが、「こっちは天下国家の議論をしてるんだ、少しぐらい我慢しろ」とやり返したものだから、即日退去を言い渡されたのだった。

 

アクの店は、いつもは閑散としていたが、たまに混むこともあり、手伝うこともあった。手伝うといっても、私にできるのは新じゃがバターぐらいしかなかった。友人のKは、そのうち小林秀雄と中原中也が長谷川泰子をめぐって張り合った話ばかりするようになった。そんなはなし知りもしなかったくせに、いつの間に大谷の影響でも受けたのかなと思ったらそうではなかった。二人はマリをめぐって張り合っていたのだ。大谷から、長谷川泰子が中原中也の元から小林秀雄のところへ走った話をされて、君は身を引くべきだとKは諭されたらしい。すったもんだした挙句、マリは大谷でもなく、Kでもなく、Mくんという端正な顔立ちのミュージシャンの卵を選んだ。それから大谷もKもぬけがらのようになって、しばらくアクの店は灯が消えた。昭和48年ごろの、小さな石鹸カタカタ鳴った『神田川』が流行っていた頃の遠い昔の話である。