コラム

じっと手を見る

1997年7月20日   中央公論にフォーリン・アフェアーズのページがあって、そこの極東代表のT氏がいつも雑誌を送ってくださるので、愛読者になってしまったのだが、9月号に沖縄のことを書いた論文が載っていた。米軍・・・

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蕎麦を啜る

1997年6月20日   思いもしなかったところで、うまい蕎麦に出会う。とたんにこの上もなく幸せな気持ちになって、心躍らせながら、はらりとさばいてすすりけりだ。たとえばそれは、時間つぶしに入った下井草の街はずれ・・・

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足の裏を洗う

1997年5月20日   子供の頃は足の裏のくすぐりっこなど、よくした気がする。足の裏に限らず、くすぐられるのは確かに苦しい。しかしヨーロッパ中世の拷問の中にくすぐるのもあって、そのための道具までもあるらしく、・・・

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辞書を撫でる

1997年4月20日   「英文法を撫でる」という本があった。英文法という抽象的で一見無味乾燥なものに対する著者の愛おしみがいかにも伝わってくる表題だと思う。それに比べると、辞書を撫でるというのは、モノが具体的・・・

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最期の審判

1997年3月20日   地震が頻発した。最期の審判ではないけれど、とうとう来るべきものが来たのかという気になった。一種自己懲罰の気持ちだろうか。 ともあれ、社会も人も天地もなんだか大きく揺れ始めている。

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自分の意見

1997年2月20日   たそがれの同族国家という新聞の特集がおもしろかった。しかし、わが国の同族性で一番問題なのは、新聞の意見を自分の意見ととりちがえてしまう人があまりにも多いことではなかろうか。

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