コラム

その顔が見たくてならない

頼山陽の書は、「なんでも鑑定団」に出品されて、百万とか二百万の高い評価が付くこともあれば、偽物として五千円で片づけられることもある。頼山陽とは、そも何者ぞ。頼山陽は、広島藩の儒学者の子として幼少のころから詩文の才に恵まれ・・・

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座右の地図帳

人には「座右の辞書」が必要だが、「座右の地図帳」も欠かせない。ナチス・ドイツものを読んでいて東プロイセンが出てきたとき、どこにあるのかを確認できなければ一知半解にとどまるからである。また日本の戦国時代ものでも、琵琶湖周辺・・・

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走れメロン

日本を代表する作家というと、夏目漱石や谷崎潤一郎、川端康成などを連想する人が多いと思うが、彼らは立派すぎて私は挙げる気にならない。私が日本を代表する作家として連想するのは、太宰治である。太宰は、大方の日本人と同じように、・・・

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真夏の出来事

真夏の夜は、やはりビールである。コップに注ぐたびに、白い泡が湧き立ち、乾杯のたびに白い泡が揺れる。誰かに言わせると、ビールは人に注いでもらって飲む酒だそうだ。それが呪文のように効いたのか、一人のときに飲むことはもうほとん・・・

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きびなごの刺身

九州のある町の炭鉱住宅に私は住んだことがある。1975年の春、私は人を探してかつて炭鉱のあったその町に辿り着いた。Mさんという作家のところに、いるかもしれないと思って訪ねたのだが、見当違いだった。途方にくれている私に、M・・・

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イロクォイ族の誓い

たまに立ち寄っていた本屋がなくなって、ドラッグストアに変わっていた。自己啓発本やノウハウ本ばかりの本屋だったが、それでもないよりはましだった。いっそのこと政府が文化財として補助金を出すか、公営の本屋を設けるか、なにか手を・・・

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特例適格特別指定特定認定制度

辞書を引くのは、楽しい。なぜ、楽しいのか。辞書を引くときには、自分がいたらないことを認めて、降参して頼っているという感じが、思わず知らず絶対者に帰依しているような充足感を引き出されているからだろうか。それとも、辞書を引く・・・

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崎陽軒のシウマイ弁当

クリント・イーストウッド監督・主演の映画『運び屋』が話題になっている。麻薬の運び屋になった90歳の老人が主人公である。クリント・イーストウッドの映画は決して期待を裏切らない。ダーティー・ハリーの面構えは、今も健在で、あの・・・

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子どもより親が大事

三鷹の駅前にその昔「山の音」という喫茶店があって、よく通ったものだった。漫画家の山松ゆうきちが近くに住んでいて、打ち合わせに使っていた。山松が借りていた家にも何度か行ったが、山松は宵越しの金を持たないデカダンな表現者の流・・・

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弱者の戦略

今は、明るい時代だろうか、それとも暗い時代だろうか。ハンナアーレントの『暗い時代の人々』は、ファシズムが吹き荒れたヨーロッパの暗い時代のことである。それに比べれば今は、暗い時代ではないと思う。しかし、明るい時代だという気・・・

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ハラスメント・ハラスメント 

獅子は千尋の谷に我が子を突き落とすというが、もし今の時代にそれをやったら、どうなるか。獅子といえども、ただでは済まない。動物界からの引退まではないだろうが、さすがに百獣の王の地位からは降りることを余儀なくされるだろう。我・・・

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漱石が来て虚子が来て大三十日

夏目漱石と高浜虚子がやってくるというのだから、ずいぶん贅沢な大三十日(おおみそか)だ。誰の句かといえば、正岡子規である。明治28年、柴田宵曲の『評伝正岡子規』には、漱石が松山から出てきて大晦日に子規を訪ねたことは記してあ・・・

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不射之射

弓道は精神の技である。温泉場の射的ぐらいしかしたことのない私でも、それくらいはわかる。ねらって的に当てようとしてはいけない。弓を引くのは射手なのか。それとも射手をいっぱいに引き絞るのが弓なのか。的に当てるのは射手なのか。・・・

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マロニエの木蔭

だいぶ前になるが、予備校で教えていた頃、数学を担当していた講師から聞いた話。大学の数学科に進む学生は、みな自らを数学の天才かもしれないとたのむところがある。しばらくしてそうじゃなかったことを知るが、それから数学の教師にな・・・

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異形の政治家

ドナルド・トランプは、不思議な政治家である。普通の政治家は、習近平のように国家や自分の権力の拡大に腐心する覇権型か、安倍氏のようにいろいろな勢力を調整してバランスをとる調整型かである。トランプはそのどちらでもない。要する・・・

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幸福の青いチップ

タシケントの地下鉄は世界で最もきれいな地下鉄の一つに挙げられているだけあって、荘厳な地下宮殿のような趣があった。1,000スムの紙幣で買った青い小さなチップを自動改札機に入れて中に入るのだが、1,000スムは日本円に換算・・・

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遠くに永代橋を見ながら

ほぼ1年にいっぺんだが、墨田川にかかる中央大橋を徒歩で渡って佃の方へ行く。といっても、大した用事ではない。1年にいっぺんの仕事で出かけたときに、八丁堀の方から何人かで連れ立って昼飯を食べに行くだけのことである。そこからは・・・

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私の「西郷ろん」

大河ドラマの『西郷どん』はさておくとして、西郷隆盛は、生涯で二度南島に流されている。一度目は、三十歳のとき、安政の大獄で追及され入水自殺に失敗して、奄美大島に流された。二度目は、三十四歳のときで、西郷を嫌う藩主の島津久光・・・

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新宿ゴールデン街のこと

新宿の靖国通りから区役所通りに折れて、一つ目の路地を右に入ると新宿ゴールデン街の入り口を示すゲートがある。そこから、迷路のように入り組んだ路地に足を踏み入れると、白人の観光客が多いのに驚かされる。狭い路地を行き交う客ばか・・・

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金正恩氏の髪型

「僕の髪ぃ~が肩まで伸びて~」と歌う吉田拓郎の『結婚しようよ』が流行っていた頃、私の髪も肩ぐらいまではあった。それが今では風前のともしびである。全部なくなってしまった頃、『お葬式しようよ』となるのだろうか。  ・・・

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中央線の風景

日曜日ののどかな午後、高円寺の駅のホームのベンチに座って、週刊新潮を読んでいる人がいたので、思わず隣に座ってのぞき込んでしまった。週刊新潮といってもタダの週刊新潮ではない。覗き見た表紙の題字には、「潮新刊週」とある。うぬ・・・

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異邦人の思ひ出

事務所が移転したところは因縁のある場所である。数年前まで「異邦人」というバーがあった。そこにはかなり年代物の木賃アパートが建っていて、その一階というか半地下が小さなカウンターだけのバーの造りになっていた。バーには屋根裏部・・・

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自分が生きた証

一生働かなくていいという人の暮らしはどんなだろうと思う。働かなくていいといっても、ぜいたくな暮らしをしながらのものと、つましい暮らしをしながらのものとは、おもむきがだいぶ違う。   ぜいたくな暮らしというと、作・・・

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仁義礼智信

二十年ほど前になるが、ある会館の五つの部屋の命名を頼まれて、儒教の五つの教えである仁義礼智信からとって、それぞれの部屋の名称にしたことがあった。仁の間、義の間、礼の間、智の間、信の間の五つである。二つを合わせて使うときは・・・

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昭和最後の秋のこと

宇宙とは「時空」の意味だと今まで思わなかった。宇宙と聞くと、銀河の向こうに広がる宇宙空間のことしか思い浮かばなかった。古代中国の『淮南子』という本に、宇宙の宇は上下四方の空間をいい、宙は古往今来の時間をいうと書いてある。・・・

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人は何故それを背負うか

背中にリュックを背負っているリュック族がじわじわと増えている。電車の中などで、前にも後ろにも、右にも左にもリュック族がいて囲まれてしまうと、なんだか終戦直後の買い出し列車を思い出しそうになる。といっても、実際は知らないの・・・

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生き恥をさらすということ

「司馬遷は生き恥さらした男である。」の書き出しで始まる武田泰淳の『司馬遷』に、歴史家の兄弟の話が出てくる。時の権力者がその君主を殺した。歴史家がそのことを記録したら、けしからん奴だと権力者は殺してしまった。すると歴史家の・・・

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元号の話

平成の元号を決めるときには、他に「修文」と「正化」という二つの候補があったそうである。しかし、ローマ字表記の頭文字がどちらも「昭和」と同じ「S」になるので、不都合ではないかという意見もあり、全員一致で「平成」に決まったと・・・

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番狂わせの一番

横綱稀勢の里の調子が悪い。優勝してあちこち引っ張り出されているうちにすっかり脇が甘くなり勝てなくなってしまった琴奨菊に比べると、稀勢の里は意識して脇を締めているようなところがあって、まさか琴奨菊の二の舞になるようなことは・・・

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人間嫌いと短命の関係

本は二度も三度も読んで初めて本当に読んだことになるんだという気持ちにさせられたのは、森鴎外の『渋江抽斎』を何度も読んでからである。読み終えてしばらく経つとまた読み返してみたくなり、いつの間にかページをめくっていて、他の本・・・

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