コラム

辞書を撫でる

1997年4月20日

 

「英文法を撫でる」という本があった。英文法という抽象的で一見無味乾燥なものに対する著者の愛おしみがいかにも伝わってくる表題だと思う。それに比べると、辞書を撫でるというのは、モノが具体的である分、落ちる。「頬ずりする」ぐらいにすべきかもしれないが、これもやはり具体的である分、臆するものがある。

 

ともかく、辞書は楽しい。というわけで、突然「辞書を撫でる」となった。

 

辞書にはなによりも、書店でこれはという辞書を見つける楽しみがある。また、じっくり引いてみる楽しみがあり、気に入ったものをいつも側に置いておく楽しみがある。一冊で3度おいしい。そういう辞書の楽しみというのは、孟子ではないが、人生三楽の中に含めたいような気がする。

 

共同通信社で出している「記者ハンドブック」という一種の辞書をこのあいだ見つけた。 種々雑多な言葉、記号、数字がコンパクトに詰まっている。おう、こんなにいいものがあったのか。奥付を見ると昭和31年から出ている。今まで知らなかったなんて。口惜しい。遅れをとった。いやいや知らなかったわけじやない、横目で見ていただけなんだ。しかしなんという不明、だがなんという喜び。

 

辞書の王様は種類からいっても部数からいっても国語辞典である。愛用しているのは昔からもっぱら三省堂の新明解だが、これもあまり人口にカイシャしすぎて有難みが薄れた。国語辞典を王様だとすると、漢和辞典は女王である。種類の幅広さ、奥深さは間違いなく国語辞典をしのぐ。昔から白川静のファンなのでもっぱら字訓字統派だが、大きくて使いにくいのでいつもは学研の漢和大字典を使っている。英和辞典は中身はともあれ研究社のライトハウスの赤茶の革装が渋くて気に入っている。それから辞書の仲間に入れておきたいのが、歳時記。これは角川の合本歳時記の古いのを使っている。俳句に入れ込んだ時期の書き込みが残っているので、開くとそのころの想いが香り立つようでなかなかに捨てがたい。