コラム

出ていない月を読む人

2022年10月20日

 

NHKの連続ドラマ『この声をきみに』は、朗読教室に通いはじめた主人公がしだいに朗読の楽しさに目覚めていくドラマである。小学生の頃、教科書を声に出して読むのが大好きだった人たちにとっては、心をくすぐられるような気持ちになるドラマではないかと思う。私も、間違いなくその一人だ。

 

それで、二十年ぐらい前だろうか、新聞に朗読教室の広告が出ているのを目にして、迷った末に、思い切って申し込んだことがあったのを思い出した。何を迷ったかといえば、朗読を楽しいと思うメンタリティを人に悟られるのがなんだか恥ずかしいような気がしたのだ。もしもそこで知り合いにでも出会ったら、なんと言おう。

 

教室は十人ほどの受講生たちが集まっていて、何か物語の一節、確か有島武郎の『一房の葡萄』ではなかったかと思うが、配られたプリントを手にして、順番に読んでいった。先生は、女子アナのはしりのような恰幅のいい初老の女性だった。自分の番が来たとき、私はすっかり先生から当てられて教科書を読む小学生の気持ちになって、とてもウキウキした気分で楽しく声をはずませて読んだ。

 

全員が読み終えて、特にずば抜けてうまい人や味のある人もいないし、下手でたどたどしい人もいない、可もなし不可もなしという印象だった。ところが、先生は、「もう明日からでもプロで通用する方もいますよ。」と言った。

 

それを聞いて、私は僭越にも、いや僭越というのか、傲慢というのか、厚顔というのか、思い上がりというのか、勘違い野郎というのか、ただの大馬鹿野郎なのか、今となってはいくらでもののしってほしいのだが、実は迂闊にも、私はそれを自分のことだと思ってしまった。

 

そして自分のことだと思った瞬間に、ストンと落とし穴に落ちたのに、そのときはまだ気が付かなかった。

 

「では、ほかの文章も読んでみましょう。」と言われて、順番が回ってきたときには、もう「プロのように読まなくては」という意識で、肩に力が入ってコチコチになっていた。あの、ウキウキした小学生のような気分はどこへ行ってしまったのか。それからは、もう何を読んでも楽しくなかった。

 

その後、二、三回は教室に通ったが、もうあの朗読の楽しさは返ってこず、自然に足が遠のいてしまった。だから、このドラマは、私にとってはひとしおなのである。