コラム

健康を考える

1997年12月20日

 

近々ガンの手術をするという人から、お大事にといわれてしまった。風邪をひいて、咳が抜けないだけなのだが、変な咳だと思われて同情されてしまったのだ。ここ数年風邪などひかなかったのに、このところ立て続けにひいている。運動不足がいけないらしい。何とかしなければならないのだが、健康法というのはなかなか続かない。誰しもそうだろうが、ご多分にもれず、いままでいろんな健康法に挑んできた。ジョギングなどはもちろん最初から考えもしない。論外である。

ダンベル健康法のときは、ダンベルを注文してから一月は待った。丁度ブームのピークだった。着いたときにはかなり熱が冷めていた。なにが面白くてこんなものを上げ下げしなけりやいけないのか。まもなくダンベルは古新聞の重しとなった。 ゴムのロープを引っ張るやつ、なんという健康法だったか。これはやれそうな気がした。巨人の星の星飛雄馬の大リーグ養成ギブスのようにできそうな気がした。すぐに、はかない幻想だと知った。なんの因果でこんなゴムでぐるぐる巻きにされなきやいけないのか。古新聞を束ねるのにゴムは重宝した。

水風呂健康法は続いた方だと思う。朝、冷たい水を張って、決死の思いで飛び込んだ。明るい朝ばかりとは限らない。暗い朝もある。湯気一つたたない静寂に満ちた水槽にぶるぶる震えながら身を沈める。何が悲しくてこんなことをしなくちやならないんだ、急にもの悲しい気分におそわれて、それであえなくおしまい。

スイミングクラブも行った。しこたま鼻から水を飲んで正式の背泳が結構つらいものであることを知った。行かねばならぬ、妙心殿、止めてくださるな。しかし自分の意思に反して自然と足が遠のいていた。

歩く。これはまあ、歩かざるを得ない分だけ、続いているといえば続いている。万歩計もときどき思い出したように付けてはいる。ただ目標にひどく遠いのが問題だ。

というようなわけで、健康法の追求は「終わりなき日常を生きる」現代ハラボテ中年族にとって畢生のテーマなのである。いや、ほんと。