コラム

甘納豆のうふふ

2000年1月20日

 

17歳の誕生日だった。我が家のささやかな夕食のテーブルになぜか放浪学生が一人鎮座していて「17歳か、17歳というと山口二矢がそうだったなあ」と恐ろしいことを言ったのだ。「いやだなあ、山口二矢ってあの浅沼稲二郎を刺した奴でしょう」。今にも噴出しそうな少年の狂暴さを見ぬかれた気がして動揺したのを憶えている。あれから30年たって、その間に得たものはなんだろう。だいたいの世界のサイズというか世間のサイズというかわかったような気になっている。自分のサイズもそうだ。それがわかったような気になるまであちこちにぶつかって測ってみるしかなかった。いまはもう傷ができるほどぶつかったりはしない。しないはずだ。

この間のバスジャックのとき、暴れている少年にはお菓子の差し入れが効くのではないかとチラッと思った。とくに甘納豆などは効果的ではないか。この野郎と思いながら食べ進んでいるうちに狂暴な心が自然とほころぶかもしれない。

高田馬場の駅前に「花川」という甘納豆屋があって、この間店じまいセールをやっていた。服や靴の閉店セールは珍しくないが、甘納豆の閉店セールはなかなかお目にかからない。ことによると一生一度のことかもしれない。どうしたわけかといぶかっていると脇に工事看板が出ていた。どうやら店の建物をビルに建替える計画らしい。いままで店は随分年季が入っていて誰の目にもそろそろ限界に見えた。店と同じくらい年季の入っている店員さんに、いつごろ開きますかと聞くと、多分もう再開しないと思いますと寂しそうにいう。うーん、残念。

甘納豆というのは気をつけてみてみるとデパートでも置いていないところがある。あれで結構製法がむずかしいのではないか、どこでも作れるというような代物ではないのではないか、思い入れもあってそういう気がしている。

甘納豆は好物の一つである。ベストスリーには入る。もっとも、私のベストスリーには30ぐらいのものが入るのだが。

昔は駄菓子屋に甘納豆を袋入りのくじに仕立てたのが置いてあった。豆くじと呼んでいたが5円出して小粒の甘納豆の少しだけ入った小さな袋を引く。その中に特等や1等のあたりくじが入っていれば大粒の甘納豆とおもちゃの景品がもらえた。10円のこづかいをそれに使ってしまって涙をこらえた日もあれば、特等が当たって得意満面に帰ったこともある。ギャンブル好きにならなかったのは、ことによると豆くじのおかげかもしれない。

いつだったか、日暮里の駄菓子問屋横丁で豆くじをいっぱい買ってきて一人で引きまくり、すっかり幸福な気持ちになって、甘納豆の句を思い出した。ちょっと季語違いだが…。

 

3月の甘納豆のうふふのふ