コラム

鮑のステーキ

2002年7月20日

 

銀座の伊東屋からもらってきた『銀座百点』をめくっていたら、和光のレストランの宣伝に、鮑のステーキのメニューが載っていた。なんともうまそうに見える写真だなあと眺めながら、鮑のステーキでよみがえってくる思い出がある。

まだ20代の半ば、会社勤めをしていた頃のことだ。今のように熱帯夜が続いて、生ビールがうまい季節だった。上司のお供でS氏という大事な客の接待に付いていった。場所は、六本木のあたりのわりあい格式ばらない感じのレストランで、その頃としてはまあまあの店ではなかったかと思う。

席に着いて差し出されたメニューを開くと、「鮑のステーキ」がひときわ輝いていた。一瞬惹かれたが、頼む気はなかった。値段がばか高く、だいたい接待のお供で来た奴が頼むのには変わりすぎている気がしたからだ。もっと当たり障りのない平凡なステーキにすべきだと思った。しかし、そのとき上司が「好きなのを頼んだらいいよ。鮑のステーキでも何でも」と確かに言った。私より一回り以上も上のその上司はときどき無理をすると言うのか、そういうところがあった。そういうとき、こちらが遠慮して引けばいいのだが、遠慮しないという関係が私たちの間には出来ていた。それで、一人だけ鮑のステーキを頼んだ。

鮑のステーキは、出てくるのが遅かった。やっと運ばれてきたときは、Sさんも上司もおおかた食べ終わっていた。遅れを取り戻すべく、急いで解体作業にかかった。フォークで押さえつけて、当然のことだがナイフで切る。しかし、程なくしてこの鮑が驚くほど切れないことに気がついた。すでに、ナイフとフォークは自分の汗と油でべとべとになっていたが、解体作業の成果はほとんど上がっていなかった。かといって、やめるわけにもいかない。絶望的に続けていると、上司はナイフの使い方が悪いんじゃないのと言う。国際通のS氏は、S氏で、日本人のナイフの使い方はサルマネで、欧米人のナイフさばきは日本人と同じように見えて違うなどといっている。

ここまで来ると、もう、そんなレベルじゃないんだがと思いつつ、2人に言われたとおりナイフの向きを右に左に変えてみたが、一向に埒が明かない。やがて上司が見かねて、貸してみろというので渡したが、上司も汗をにじませるばかり。自分から言った手前、簡単に放り出すわけにいかず、ひとしきり取り組んだが、やはり切れなかった。私の汗に上司の汗が加わった。今度はS氏がやってみましょうという。S氏も汗だくになって挑んだが、やはりいかんともしがたかった。S氏の汗も加わった。

最後は、直接かじってみたらどうかということになった。それで、かじりついてみたが、ナイフで切れないものが直接かじれるわけはなかった。汗と唾液でべとべとになった鮑のステーキを残して、結局我々はそこを去るしかなかった。

以来、鮑のステーキを食していないが、今にして思えばあのときが初めてだったのだ、あの2人も。