コラム

街灯の下で

2003年7月20日

 

夜道を歩いていたら、前を行く若い夫婦らしい二人連れの話し声が聞こえてきた。夫婦だと思ったのは、二人ともジャージを着ていて身なりに無頓着な風だったからである。「そうだろう。だから俺が言ったじゃないか。もうやめろよ、いいかげんに。」と、ちょっと可愛らしい感じのする妻が夫に言っている。「そうだね。」と、低い声で夫が返すのを聞きながら思った。そうか、男と女はいつのまにかこんな関係になっていたんだ。学校で女の子たちが男言葉を使うといわれていたのが、彼女たちの卒業とともに一般社会に流れ出し、やがて定着してしまったらしい。

我々の社会は進化しているどころかむしろ退化しているという感じを強く持っている。その中で、女性が強くなったことだけは、しかし数少ない進化の一つと思っている。進化がいいか悪いかは別にしてである。

人間には昼派と夜派があって、昼派がのさばりだしたのが今のような世の中がつまらなくなった原因ではないかという話が、なにかに出ていた。確かに、政治家の世界も、役人の世界も、そして経済界も、昼派が全盛を誇り、透明性なるものが流行である。それで、会計がとりあげられ、監査が話題に上る。しかし、こんなことを言ってはなんだが、監査法人や会計士が前面に出てくる社会はろくな社会じゃない。

市場、市場と、万物の貨幣化が進行する中で、複雑な話は敬遠され、単純な話ばかりが横行する。経済が社会を支配し、政治や行政までも経済計算に従属してしまった。人と人、人と社会の関係も金銭関係に還元され、社会に奥行きがなくなって、薄っぺらで底の浅い社会だなあと感じることが少なくない。こんな風に価値観が異常に画一化し、「ノー」を言う場面がない社会では、犯罪が唯一の異議申し立ての手段となってくるのかもしれないと、近頃日本中で起きていることを思うといっそう不気味さが増す。

ところで、冒頭の夫婦の話だが、よく聞いていると、どうやら夫のパチンコを妻がいさめる話だった。昔からよくある話で、最近は逆のケースもあるだろうが、いずれにしても多くの家計に大なり小なり暗い陰を落としているのが20兆円産業と豪語しているものの実態である。

パチンコをしなくなって20年以上になるが、今でもパチンコ必勝法は忘れていない。パチンコ屋のシャッターの上がり始めと同時に、よく通行人の蔑視に耐え、匍匐前進して前日の打ち止め台を確保し、打ち止めまで諦めずに打ち続けること。もちろん、そんな情熱はもう残っていない。