コラム

貧乏父さんの経済学

2003年6月20日

 

商売に、金持ち父さんを相手にする商売と貧乏父さんを相手にする商売があるとしたら、今は貧乏父さんを相手にする商売の全盛期である。何かというと、まずテレビや新聞などのマスコミ産業がある。たとえば、金持ち父さんと貧乏父さんのどちらがテレビのお得意様かというと、間違いなく後者である。金持ち父さんが何台もの高価な大型液晶テレビを家中に備え付けたところで、視聴率では1人の失業父さんにだってかなわない。だいたい、貧乏父さんの方が圧倒的に数が多いのだから、テレビは貧乏父さんに見捨てられては生きていけないのである。

新聞にしても、金持ち父さんが新聞を毎日山のように買うわけはなく、日刊紙のほかにスポーツ新聞を買って新聞社を支えているのはむしろ貧乏父さんの方だろう。

携帯電話やインターネットなどの通信業はどうか。金持ち父さんが携帯電話をからだ中にぶら下げて、貧乏父さんに負けまいとかけまくっていたり、千手観音のようにインターネットを使っているというなら話は別だが、そんなわけはなく、ここでも貧乏父さんに軍配が上がる。

長い行列のできるラーメン屋はどうか。もちろん、金持ち父さんがいつもチャーシュー山盛り、金粉入りの豪華版を何杯も平らげていたり、長い行列をアルバイトを雇って並ばせていたりするなんてことはなく、ラーメン屋の成功は圧倒的多数の貧乏父さんの行列にかかっているのだ。

病院はどうか。金持ち父さんが病弱で年中病院通いしてるなんてことはあるはずもなく、そんなことをしていたら金持ち父さんも貧乏父さんになってしまう。結局のところ、病院も保険でとりっぱぐれのない貧乏父さんが上客なのだ。

その他、テレビゲームやディズニーランドなどの娯楽産業も、金持ち父さんが何人分も消費するわけに行かない以上、途方もない行列に黙って並んでいる貧乏父さんが生命線である。ファミレスやファストフードなどの飲食業が全盛を誇っていられるのも、牛丼やハンバーガーを飽きもせずほおばってくれる貧乏父さんのお陰なのだ。そうそう、100円ショップも忘れてはいけない。

ことほど左様に現代の消費を支えているのは、金持ち父さんではなく、貧乏父さんである。日本のような先進国では貧富の差が消費の差に直接結びつかず、所得の多い少ないにかかわりなく、消費が行われる。厳然として貧富の差はあるにもかかわらず、貧乏父さんの貧富へのこだわりはすっかり希薄になってしまった。しかし、貧乏父さんの趣味や嗜好へのこだわりは一層強く、そのためには出費を出し惜しまない。かくして高級品の市場も、存外貧乏父さんが頼りなのだ。もちろん、父さんを母さんに置き換えてもいいし、兄さん、姉さんでも同じことが言える。