コラム

目玉焼きの幸福

2013年4月20日

 

お昼ちょっと前に、なんの変哲もない町の蕎麦屋に入って、カレーうどんと小さなご飯を頼んで食べていたら、お昼を過ぎて入ってくる客、入ってくる客が、カレーうどんばかり注文するので、世の中にはカレーうどん好きが案外多いのかもしれないと気が付いた。中には、カツカレーとうどんをおいしそうに平らげるガテン系の客もいて、魅かれたので次のときにマネをして頼んでみたがそれほどでもなかった。

それで、何かの折にカレーうどんの話をしたら、あのカレーうどんの中のバラ肉をオカズにご飯を食べるのがおいしいですよねという人がいたので、ああ同好の士もけっこういるのだと感じ入った。そのときに聞いた話では、カレーうどんもだが、カレーそばも結構いけるらしい。馬齢を重ねて、自分では世の中を知った気でいたが、まだまだである。

それから、どこかに、カレーうどん専門店もあると聞いたのだが、そういうのは好みではない。私のカレーうどんは、あくまで、どうということのないたたずまいの、町の蕎麦屋でなくてはならない。

卵の料理で好きなのは、目玉焼きである。朝、家人が焼いてくれたのをときどき食べる。食べるが、目玉焼きはどこで食べても同じと思ってはいけない。えも言われぬ、味わい深い目玉焼きが、世の中には存在する。私がときどき行く、高円寺のカウンターだけのバーに、その目玉焼きがある。無愛想なマスターが焼くそれは、ふわふわした卵の白身が全体にかぶっていて黄身は出しゃばらず、うっすらと白身を通して2個の黄身が見えるだけである。皿の脇に小さなトマトと青菜が乗っているが、他にはベーコンもハムもなにも載っていない、ほぼ卵だけの目玉焼き。これにはウィスキーが合う。

マッカランのロックをのどの奥に流し込みながら、塩と胡椒が程よくかかっているふわふわをナイフで切って口に運ぶ。間隔を空けて2個の黄身を頬張るとき、口の中に広がるのは幸福感だけである。