コラム

ビルマの事々

7月の終わりに5日間の予定でミャンマーの古都ピーに出張した帰り。ピーからヤンゴンへと続く道路の両側は前日から降り続いた激しい雨のせいで川のようになっていた。そこに軒を連ねている商店や家々も水につかって、なすすべもなく立ち尽くしている人がいるかと思えば、のんびり椅子を出して新聞を読んでいる老人もいる。

車で6時間の道程の半分ぐらいまで来たとき、通行止めにあった。雨で地盤が緩んでいたせいで、道路の側に立っていた木が倒れて道路をふさいでしまったのだ。現地の人たちが手斧を使って木を切ろうとしているが、時間がかかりそうだった。やがて消防車が来て、オレンジ色の制服を着た消防隊員が降りてきた。消防車には「小坂井町」「第33分団」などの文字が見える。どうやら日本の消防団のおさがりのようだ。消防隊員は、チェーンソーでも持ってきたのかと期待したが、黙って見ているだけだった。飛行機の時間が気にかかったが、意外に早く木は撤去され、ほぼ時間通りにヤンゴンに着くことができた。

ヤンゴンは、かつてラングーンといったが、日本軍に占領されたことがある。イギリスの植民地下でアジアでも有数の賑やかな都市だったラングーンは、日本軍の占領で多くの人が逃げ出したのを機に衰退してしまった。次いで大きな都市だったマンダレーも日本軍の空襲にあって焼き払われた過去がある。当時、ビルマといっていたミャンマーは日本軍に抵抗する中国軍への補給路となっていたために、日本軍が侵攻して、人々に大きな被害を及ぼした。

ミャンマーは、今もベンガル湾から中国の内陸部へと通じる道である。軍政下で欧米諸国から敬遠されている間に、中国が抜き差しならぬほど進出した。中国にとっていま最大の問題は、沿岸部と内陸部の地域格差の問題だが、その地域格差を解消するためにも、中国はミャンマーを開かれた海への通り道として確保したいのだという。

地域格差といえば、日本でもかつて太平洋側と日本海側の地域格差を解消することを政治目標として掲げたのが、田中角栄だった。週刊新潮の戦後70年特集の巻頭は、田中角栄の素顔を小沢一郎が語るインタビュー記事だったが、田中角栄のよさも、小沢一郎のよさもにじみ出ていて、読んで心が和んだ。