コラム

トイレの話

2016年6月20日

 

このところぐずついた天気のわりに、なかなかどーんという雨が降らず、東京の水がめが干上がりつつあると聞くと、責任者でもないのに、いささか心配になる。昔、沖縄の那覇にいたころ、一度だけ水不足を経験した。といっても、覚えているのは、飲み屋に入るといたるところに水を張ったバケツとひしゃくがおいてあり、トイレに行くにもそこから手桶に水を汲んで持っていかなければならなかったことだ。少し恥ずかしそうに前かがみになって手桶に水を汲んで持っていくその恰好がどことなく滑稽で、誰もがある種の可笑しみを共有していたように思う。

ところで、世界の4割の人はトイレのない生活をしていると女性ジャーナリスト、ローズ・ジョージの『トイレの話をしよう』という本に書いてあった。その本の最初のページを開くと、ローズがアフリカのコートジヴォアールの小さな町のレストランで、トイレはどこかと尋ねたら、若いウェイターから白いタイル張りの床と壁だけで、便器も何もない部屋に案内された話が出てくる。本当にここでいいのかと尋ねたら、

「床の上にするんです。何を考えているんですか?ここはアメリカじゃないんですよ!」と言われてローズは呆然とする。この本を3年前ぐらいに読んだ時には、面白くて会う人ごとにこの話をしたものだった。誰でも、海外に行くときには、食べることと同じぐらいトイレのことが気になる。特に日本のようにシャワー式トイレが普及しているところから、発展途上のところへ行くときには、それこそ天国から地獄に降りていくような感覚であるといったら大げさ過ぎるだろうか。

東南アジアの奥地などに行くと、日本からの援助で村の小学校に併設されたトイレが村で初めてのトイレだという場合がときどきある。初めてのトイレなので、トイレの使い方などについての講習会も開催されて、村人も手をよく洗うようになったと村長さんが胸を張ってあいさつする。あいさつが終わると、待っていた村の顔役たちと次々に握手することになるのだが、よく洗ってある手なら安心だと思いながら、力を込めて握手をする。