コラム

夜間飛行

2025年12月19日

 

忘年会で酒が過ぎたとみえて、久しぶりに酩酊してしまい、帰りの電車で降りる駅を乗り過ごしてしまった。別の駅で降りたものの、はて、ここからどうやって帰ったものかと、しばらく頭が回らず、自分で可笑しくなって笑っている始末。少し頭を冷やそうと、ホームのベンチに座ってちょうど鞄に忍ばせていたプラトンの『国家』を取り出して開くと、「酒びたしの男よ お前の眼は犬のよう 心臓は鹿のそれのようだ」とあった。ああ、そうでしょうとも。

そういえば、むかし同級生仲間で会社を作って本を出版した後、次はコンピュータゲームでも作ろうかという話になって、アイデアを出し合ったが、僕が出したのは『ザ・ドランカー』と名付けて、酔っ払いがどうやって家にたどり着くかというゲームだったのを思い出した。

皆からは一笑に付されて終わったが、僕がそれを着想したのは、戦後の復興期に池袋に住んでいたAさんが駅前で飲み屋に入ってしまうと、家に帰りつくまでに三日かかってしまったという話を聞いた記憶がどこか頭の隅に残っていたからだった。

僕より二回りは上だったAさんの仕事場はこの辺だったかなあと神楽坂を通るたびに懐かしく思い出すのだが、あれはもう五十年も前のことだ。僕もその頃は池袋にくわしくて、隅々までよく知っていたので、Aさんの話に相槌を打つことができたし、田中小実昌さんからも「池袋のミクニコウジってどう書くんだっけ?」と電話がかかって来たことがあった。青江三奈の『池袋の夜』にも歌われているあの美久仁小路だ。

家に帰りついて、酔い覚ましに夜空を見上げて星を探したが、空は少し曇っているらしく、星は二つしか見つからなかった。あっ、もう一つ見つけた、と思ったら、光は少しずつ動いていて、どうやら夜間飛行の旅客機のようだった。あんなに高いところを、たくさんの人を乗せて、こんな時間に飛んでいるんだなあと、いつまでも見上げていたら、むかし国際線に乗務していたという人のことが、まるでそこに乗って働いているかのように思い出された。