コラム

不射之射

弓道は精神の技である。温泉場の射的ぐらいしかしたことのない私でも、それくらいはわかる。ねらって的に当てようとしてはいけない。弓を引くのは射手なのか。それとも射手をいっぱいに引き絞るのが弓なのか。的に当てるのは射手なのか。それとも的が射手に当たるのか。弓と矢と的と射手が内面的に絡み合い、もはや射手は分離することができない。自然の中にはすでに不可解ではあるが、現実に存在しそれ以外には考えられないような一致がある。蜘蛛は舞いながら巣を張るが、捕らわれる蠅の存在を知らない。蠅はのんきに飛びまわりながら、自分に何が迫っているのかを知らない。しかし、この二つのものを通じて、それが舞っている。この舞の中では、内と外が一つになる。このようにして射手は、ねらうことなしに、標的に射当てる。

 

中島敦の『名人伝』は弓の名人紀昌の話である。紀昌は、すさまじい修練の後、師から免許皆伝を授けられるが、その先を求めて山奥に住む仙人のもとを訪れる。仙人に、お前の弓は所詮「射之射」だ、まだ「不射之射」を知らないなと笑われ、ムッとしたが、「不射之射」を見せられ慄然とする。それから、長い修行の末にようやく「不射之射」の境地に至る。山を下り、天下一の弓の名人となった紀昌だったが、やがて、弓の名も弓の使い道も忘れてしまった紀昌に、都の人々は驚嘆するとともに感心し、その後しばらくは、画家は絵筆を隠し、演奏家は弦を断ち、大工はさしがねを持つのを恥じたという。

 

ドイツの哲学者オイゲン・ヘリゲルは、あるときヤスパースの講演のあと、質問した。「ただいまの講師はカントの『純粋理性批判』を読まれたことがあるか」。ヤスパースは憤然として答えた。「そのような無礼な質問には答弁の義務はない」。ヘリゲルは、言い返した。「いやしくも『純粋理性批判』を読んでいながら、そのような幼稚な講演をする者には講師たるの資格はない」。

 

その後、ヘリゲルは東北大に赴任し、仙台で弓道場を開いていた阿波研造に弟子入りして弓道を学んだ。阿波は、矢を、あたかも幼子のように、笹に積もった雪が自然に落ちるように、無心に放たなければならないという。放つという意志さえ捨て、自分自身から離脱せよという。ヘリゲルは、懸命に稽古を積んだが、なかなか「無心の放れ」が訪れないのを焦って、あるとき小手先の技でごまかそうとした。それで、破門されそうになったこともあったが、五年間の修行を経て、昭和四年にドイツに帰国したヘリゲルの著書『日本の弓術』は、日本の弓道の精神と阿波研造の名を世界に知らしめたのである。