コラム

マロニエの木蔭

だいぶ前になるが、予備校で教えていた頃、数学を担当していた講師から聞いた話。大学の数学科に進む学生は、みな自らを数学の天才かもしれないとたのむところがある。しばらくしてそうじゃなかったことを知るが、それから数学の教師になれたらましな方で、なれなかったら、あとはつぶしのきかない人生を何とかやっていくしかない。千人に1人か、万人に1人の可能性に賭けて、みな数学科にやってくるんだ。

 

それを聞いてから、私は999人だか、9,999人だかの、勇者たちに最敬礼の気持ちを持つようになった。

 

そんなこともあって、数学者の藤原正彦が新聞や雑誌などに書いているのを見つけると、いの一番に読む。自慢じゃないが世の中で私が、いの一番に読むのは、ANAの機内誌『翼の王国』に載っている『おべんとうの時間』と、藤原正彦ぐらいのものである。

 

それで、その藤原正彦が、松島詩子について書いていたのを見つけた。松嶋菜々子ではない。松島トモ子でもない。松島詩子(まつしま・うたこ)である。今では知る人はそう多くないだろう。松島詩子は、「広島の女学校で音楽教師をしていたが、歌手になりたくて上京する。この時32歳。美人ではないが、何とも言えない魅力的な歌い方だ。」と藤原正彦は書いている。

 

もう20年以上前だが、晩年の松島詩子を数年にわたって何度か見かけている。90歳近い頃で、昔歌手だったらしいということしか知らなかったが、そうか、そうだったのか。あの人は、「美人ではないが、何とも言えない魅力的な歌い方」をした人だったのか。年譜を見ると、昭和7年に歌手デビュー。昭和12年に発表した『マロニエの木蔭』の大ヒットで人気歌手の仲間入りをして、NHK紅白歌合戦にも計10回出場したとある。

 

歌は今からすると、松島詩子の「何とも言えない魅力的な歌い方」を除けば、「マロニエ」というパリのシャンゼリゼ通りを思わせる言葉の雰囲気だけでもっていたといえなくもない。もっとも、小さい子どもたちまでもが「アメリカ」「アメリカ」と連呼する今の歌だって、同じようなものだろう。それにしても、あの「アメリカ」「アメリカ」の連呼は何なのだ。さして知りたいわけでもないが。