コラム
移 民
2025年6月20日
中学生のとき、本屋で石川達三の『蒼氓』を何と読むのだろうと思って手にしたことがきっかけになって、しばらく石川達三ばかり読んでいた時期があった。『蒼氓』は、「そうぼう」と読み、人民のことだと知ったが、1930年頃のブラジル移民のことを書いた作品だった。
移民という運命を我が身に置き替えて考えてみたことはない。しかし、自分がもし移民だったとしたら。見知らぬ土地で、自分の身を守るだけで汲々として、昔から住んでいる周囲の住民の気持ちを慮る余裕などないだろうと思う。だから、移民というのは誰にとっても不幸な運命なのではないかと思わざるを得ない。
ナオミ・ヒラハラの近作『クラーク&ディヴィジョン』も移民の話である。前にヒラハラの『ヒロシマ・ボーイ』を読んだときの、日系二世の英文の味わいを思い出して、アマゾンで早速注文したのだが、届くのが待ちきれずに、丸善に買いに走った。何冊かの本を並行して少しずつ読むのがすっかり板についてしまっているので、あれからだいぶ経つがまだ読み終えていない。
米国人のパラダイスだったハワイのパールハーバーを日本軍が急襲して多くの米国人が亡くなった後、アメリカ西海岸にわたった日本人の移民たちがどういう目に遭ったか。『クラーク&ディヴィジョン』にも描かれているが、ヨーロッパのユダヤ人たちと同じように強制収容所に連れていかれたことは誰もが知る事実である。米国の政府や軍部にとっては、暴動や内乱に対する警戒もさることながら、ある種の人質ではなかったかと推察する。米国は戦況を圧倒的に有利に展開したので、人質に手を出すことはなかったが、パールハーバーの仕返しが、二発の原子爆弾だったことを思うと、もしも戦況が米国に不利に働いていたらどうなっていたかわからない。
対して、ナチスドイツはヨーロッパ全土に戦線が拡大して戦費調達に窮していた。そこで、ユダヤ財閥に対して人質の身代金が要求されたのではないか。しかし、その要求が容れられることはなく、大きな犠牲が払われたのは、迫害され続けてきた民族の歴史にそこで終止符を打つことを選んだからではないか。
全ての民族の文化の違い、人種の違い、性の違いを希薄化して世界を画一化することに知力と財力の限りを尽くすことが選ばれたのではないか。現代日本を見る限り、その民族の悲願はほぼ成就しているように見える。