コラム

ここだけの話

1998年5月20日

 

事務所で残業して遅くなってしまったときなど、帰りがけにときどき立ち寄るようになった店がある。いわゆるオープンカフェスタイルの店で、人通りの少ないところにあるせいか、席はゆったりしていて値段も安い。客は圧倒的に欧米系の外国人が多く、フーコーに似たスキンヘッドの年輩の女性がいるかと思えば、ビバリーヒルズ××にでも出てきそうなヤッピー風のマネージャーの男がいる。この近辺は外国語学校が多いから、ことによるとそういうところで教えている外人教師たちのたまり場かもしれない。

この間、ミャンマーに病院を作ろうというボランティア活動をしている医者が来て、NPO法人にしたいから手伝ってくれという。ちょうどNPO法人の本を出す予定もあって、喜んで引き受けたのだが、あとで近くにあるミャンマー料理の店に行った。ミャンマー人ばかりで日本人は他に見あたらない。日本に来ているミャンマー人は一万人ほどいるというが、それでちゃんと商売になるのだからすごいというかなんというか。

わが国は外国からの移民はまだ受け入れていないが、いずれ人口が減ってきて受け入れざるを得ないときが来るのだろうか。戦前はむしろ日本から移民や出稼ぎに海外に出ていった。石川達三に「蒼氓」という作品があるが、たしか日本からの移民の情景を描いたものだった。それから「からゆきさん」だったか、「サンダカン八番娼館」だったか。たしかボルネオあたりまで日本女性がいったという話で、考えてみるとボルネオよりもわが国の国富が低い時代があったということだろうから驚く。

「からゆきさん」を書いた森崎和江さんには若い頃たいへんお世話になった。九州の中間市というところに住んでいて、離れの炭坑住宅にしばらく置いてもらった。炭坑が残っていれば働かせるんだけどと笑って言われたのを思い出す。そうなっていれば、今よりは少しましな人間になっていたかもしれない。