コラム

カツライスはいかが

2000年5月20日

 

山本ジョージという代議士の事件を聞いて、大方は「ああそんな歌手とおんなじ名前の奴もいたのか」くらいの印象だろうと思う。代議士といってもほとんどはそんなものだ。カツラに散財したというのは誰が考え付いた話か知らないが、確かに最初に見たときから妙な感じのする髪形ではあった。ちょっと説明のつかないような違和感が頭部に漂っていた。高いカツラはそれとはわからないと聞いていたが、そうでもないらしい。カツラに散財したという話が事実とすればだけど。

カツラの話が出るといつも思い出す光景がある。脊椎カリエスで両足を引きずって歩く古文の先生がいた。ある日どうしたわけか立派なカツラを付けて教壇に立ったので教室中が沸き立ち、誰かが今日の昼飯はカツライスだなどと騒いだ。次の日先生は丸坊主になって現れた。少し胸が痛まないではなかったが、15、6のガキというのはそうしたものだ。うんと臆病でいながら平気で残酷なことができる。

中島義道という哲学者がいる。この人の書いたものは妙に波長が合う、というより独特の厭世観を確認できてホッとするところがある。それで、新刊が出るたびに一応チェックしているのだが、最近出たのが『私の嫌いな10の言葉』。この本に出てくる最初の嫌いな言葉は「相手の気持ちを考えろよ」だ。哲学者いわく「相手の気持ちを考えるのならいじめるものの楽しさも考えなければならない。暴走族に睡眠を妨害されるものは相手の気持ちを考えるなら、暴走族の愉快さも考えなければならない」。

そして最後に出てきた嫌いな言葉が「自分の好きなことが必ず何かあるはずだ」。無責任な教師や評論家が口からでまかせに言う大ウソだと哲学者は言う。何か好きなことといっても、なんでもいいわけではない。いかにも地味な感じの少女がファッションモデルになりたいと思いきって告白すると「ほんとうにそれが君のしたいことなのかなあ?ただ、華やかな世界に憧れているだけじゃないのかい。ようく考えてごらん」。だが、その少女が2、3日後に「先生、私やっぱり子供が好きだから保母さんになりたい」と言うと、今度は「そうか」と顔を輝かせる。といって好きなことは堅実過ぎてもいけない。仕事がラクそうだから市役所に入りたいと本心を言ったとたんに、「それがほんとうにおまえのしたいことなのか」。

他にもいろいろ哲学者の嫌いな言葉が出てきたが、なんだか爆笑問題のコント風で今回だけはどうも波長が合わなかった。自分の嫌いな言葉が一つも出てこなかったせいもある。それを一つだけ挙げろと言われれば、「他人に迷惑をかけるな」だ。昔からさんざん聞かされてきたが、いつも心の中で訂正した。それを言うなら、「他人に」じゃなく「俺に迷惑をかけるな」だろ。