コラム

金持ちになる方法

2002年3月20日

 

ムネオさんブームの陰で、ひっそりとコマオさんがなくなった。作家の古山高麗雄さんである。この人には50代の印象しかなかったので、81歳だったと聞いて、あらためて時の経過に驚く思いがする。『プレオー8の夜明け』という小説を、銭湯の帰りに確か貸本屋で借りて読んでから、30年もの時が経っていたのだ。ひと頃は片っ端から読まずにおれなかったものだが、最近はなんだか少し遠ざかっていた。しかし、ときどきは新聞や雑誌で雑文を目にして、この人が生きてるというだけで救われるような気がする作家の1人だった。もちろん会ったことはない。

白川静さんは、卒寿を過ぎてなお1日原稿30枚をこなす漢文の学者である。白川静さんが漢字文化に関するNPO法人の理事長になったというニュースが新聞に載っていて、思わず知らず愉快な気持ちになった。昔、白川さんをえらく尊敬していた元国語教師の薫陶よろしきを得て、白川ファンになったのだ。もちろん一度も謦咳に接したことはない。元国語教師の方は、酒びたりでいつもふらふらしていたが、「冗談カニコロよ」というのが口癖で、そんな言い回しがあるのかどうか、他では耳にしたこともないが、どこかで今も元気でいるのだろうか。

孔子は「富にして求むべくんば、シツベンの士といえども我もまたこれを為さん。もし、求むべからずんば、我が好むところに従わん」と言った。金持ちという身分に確実になれるのなら、どんな仕事でもしよう。しかし、求めても得られないのであれば、自分の好きなことをやっていこうというのである。

いやはや、小人は富に見捨てられてから、ようやくわが道を行くしかないと悟るものであるらしい。

それにしても、ムネオさんブームは度が過ぎている。司直の手に移るのであれば、それはそれで粛々と進めばいいと思うが、マスコミは、このおいしい商品を当分手放す気はなさそうだ。ピラニアのように骨までしゃぶりつくして、商品価値がなくなったところでポイ捨てを決め込むのだろう。マキコさんの方はまだ大事にしゃぶっている感じがするが、そのうち袋叩きが始まるのだろうか。

人々は、もはや他の誰かに代表されることを望んでいない、とボードリヤールはいう。確かに、ムネオさんにも、マキコさんにも、誰にも、私たちは代表されたくないし、代表されている必要もない。そこで、「代表を経由せずにありのままの自分になるチャンス!」などと、フランスの社会学者はエステの宣伝文句のようなことを言うが、はてさて、どうしたものやら。