コラム

一生を棒に振る

ホトトギス社に勤めているという女の人から前に名刺をもらったことがあったなと思って、名刺の束をひとしきり探してみたが、出てこなかった。ホトトギスといえば、正岡子規、高濱虚子から今に続く俳句雑誌で、夏目漱石が明治38年に『吾輩は猫である』を発表した雑誌であることでも知られている。そのホトトギス社の社屋だが、もらった名刺には確か丸の内と記されていたのをかすかに覚えていた。

 

岩波文庫に『書物』という、まあ書物があって、読んでいくと、その中に「一人前の男が、ただ口を糊して行くという一事のために、貴重な一生を棒に振ってしまおうとしているのは、決して褒めたこととはいわれまい。」と書いてあったので、耳が痛かった。

 

この書物の著者は、森銑三と柴田宵曲の二人であるが、普通の人は「ただ口を糊する」だけで汲汲としているのに、この二人は超然としてさすがである。明治28年生まれの森銑三は、高等小学校を卒業しただけで、あちこちの図書係などをしながら、生涯を書物の研究に打ち込み、『森銑三著作集』全13巻を著した。

 

明治30年生まれの柴田宵曲は、家業が傾き中学を途中でやめて夜勤の校正係などをしていたが、大正7年にホトトギス社に入社、丸の内に移った大正12年には、おそらく丸の内がいやだったのだろう、ホトトギス社を退社した。その後はやはりあちこちの校正仕事などをしていたが、どうやって生活しているのか周囲には不思議だといわれながら、岩波文庫にもなった『古句を観る』、『評伝正岡子規』、『蕉門の人々俳諧随筆』、『随筆集 団扇の画』などのほか、『柴田宵曲文集』全8巻を残している。

 

森銑三や柴田宵曲というと、どうしても三田村鳶魚や寒川鼠骨、林若樹などが思い浮かぶが、これらの人を存在させていたというだけで、彼らが生きた明治、大正、昭和という時代は貧しい中にもある種豊かなものがあった時代だったのだなあと感じさせてくれる。それに引き比べて、現代という時代のなんと貧しい時代であることか。ただ一人の森銑三、ただ一人の柴田宵曲さえも懐に入れられないのである。