コラム

もうクラウンは買わない

2006年2月20日

 

日本の霊柩車の8割はクラウンだといわれている。「いつかはクラウン」というキャッチフレーズは、これにもなんだかぴったり来そうだが、「いつかはクラウン」は、クラウンという車の持っている上昇志向の象徴的なイメージを見事に表現していた。しかし、昭和30年に登場した国産初の高級車クラウンに、このキャッチフレーズが付いたのは、だいぶ後になってからの昭和58年のことだと聞くと意外な感じがしないでもない。

そのクラウンについて、地方のお医者さんと話していたら、こんなことを言っていた。「何代にも渡ってトヨタのクラウンに乗り続けてきた。ベンツの方が安全だとわかっていたが、日本のトヨタを育てるという気持ちからクラウンに乗り続けてきたんですよ。しかし、もうクラウンは買わない。」

どうしてですかと聞くと、「今の日本の社会は、どうせトヨタなんかが中心になって自分たちのいいように作り変えているんでしょうが。田舎に居ってもそれぐらいわかりますよ。トヨタは、日本国民に育てられてあそこまでなったのに、その恩を仇で返すようなことをしている。」

私は、その認識の厳しさに驚いた。そしてそれがあまりにも正しいことにも。

トヨタは、確かに日本企業である。しかしそれは、日本に本籍を置いているというだけで、それ以上の意味はもう持っていない。トヨタは世界中に生産拠点や販売拠点を持つ日本生まれの多国籍企業なのである。多国籍企業としてのトヨタの利害は、もう多数の日本国民の利害とは一致していない。だからトヨタは、日本や日本人とは運命共同体ではない。ということは、日本や日本人が不幸になっても、トヨタはそのこととは無関係だったり、逆に幸福だったりするということである。多国籍企業であるということは、そういうことだ。しかし、そういうトヨタであるにもかかわらず、問題は日本政府に対しておそらくは最も強い影響力を持っていることである。

多国籍企業は、世界が画一的な一つの市場となることを求めている。国ごとの、民族ごとの多様性は多国籍企業にとっては邪魔なものでしかない。そこで、そうした障害を取り除いて画一化することが改革という名の下に行われる。それが日本の地方を経済的にも文化的にも破壊して、結果的に過疎地を高齢者たちの“姥捨て山”にしているのである。

さっきのお医者さんに聞くと、「最近では、亡くなって何日も経ってから見つかる独居老人も少なくないんですよ。」という。身につまされる話だが。「でもショックなのは、その後もほとんど引き取り手が現れないことですね。」