コラム

人生の悲しみ 

2007年5月20日

 

電車の中で、向かいに座っている女性が泣いていた。年齢は60代の後半ぐらいだろうか。ハンカチで顔を覆い隠すようにして、あんまり悲しそうにしていたので、どんなことがあったのだろう、あんなことだろうか、それともこんなことだろうか。いろいろ考えをめぐらしていたら、あれやこれや悲しかったことが山のように押し寄せてきて、思わずもらい泣きしそうになった。

しかし、待てよ。案外あの人は歯が痛くて耐えられないとか、円形脱毛症で髪が抜け落ちてしまって耐えられないとか、そんなことで悲しんでいるのかもしれないじゃないか。それなのに、あぶない、あぶない。うっかり、もらい泣きまでするところだった。

そういえば、昔会社勤めをしていた頃、職場にきれいな女性が居た。いつも愁いに沈んだ横顔が美しかった。とりわけ、そう、あのミロのヴィーナスのような鼻の形が素晴らしかった。(待てよ、ミロのヴィーナスって鼻が欠けてたんじゃなかったっけ。まあ、そんなことはどうでもいい。)

ひそかにあこがれを抱いたが、それだけだった。なにせ、まだ、片思いと失恋しか知らなかった頃のことだ。ところが、あろうことか、その女性からコンサートに誘われてしまった。廊下を歩いていると、ふいにその人が現れてチケットを渡されたのだ。例の愁いに沈んだ眼差しでじっと見つめられて。しかし、そんなことで舞い上がるような私ではもちろんなかった。とても、現実とは思えなかったからだ。

コンサートの帰りに、2人でお茶を飲んだ。あれは確か代々木の喫茶店だった。すると食事はどうしたんだろう。そうか、その人がサンドイッチかなにか作ってきてくれて、それをコンサートの始まる前に、「いやあ、感激だなあ」とかなんとか言いながら、食べたんだろうな。ま、そんなことはどうでもいい。

それで、お茶を飲んでいると、「私、悲しいの」と、その人は言った。(「そう、人生は悲しい」と僕も言いたかった。)しかし、次の瞬間彼女の口から出た言葉は、「私、鼻の手術をしなければならないの。」「鼻の形が悪くなるかもしれないんですって。」「それが心配で、夜も眠れないの。」

(ああ、そうだったんですか。あなたの愁いの原因はそれだったんですね。)

「人生は悲しいですよね」と、確か、最後に、僕は言った。