コラム

変化病の患者たち

2012年1月20日

 

ある日突然宇宙人がやってきて人類を襲撃する宇宙人侵略映画というジャンルがある。古くは『宇宙大戦争』があり、今は『世界戦略:ロサンゼルス決戦』、や『スカイライン-征服-』などがある。また、核戦争などによって人類が滅亡する人類滅亡映画というジャンルもある。これらは見ている間は夢中になるが、見終わると時間を無駄にしたような気がして、ああつまらなかったと呟きながら、しばらく経つとやっぱりまた見ている。映画に限らず、地球や人類が滅亡するという話や予言はみんなが好きだ。なぜだろうか。そういうことが起きるのを望んでいるところもあるからではないか。それは、もしかすると原罪意識のようなものに由来するのではないかと思う。

先天的にそうなのか、それとも人間の社会の中にそういう装置が仕組まれていて、後天的に刷り込まれるのかどうかわからないが、人はみな心の奥底に原罪意識を持っているように見える。

原罪意識は弱者の妬みや嫉みによって生じたとニーチェはいうが、むしろ人が生きて行くための延命装置ではないのか。原罪意識がなければこの世で起きる悲しい出来事に人は耐えられない。どんなに苦しいことや悲しいことがあっても、人が耐えられるのは、原罪を背負っているのだという意識が心の奥底にあるからではないかと思う。

ところで、人類の長い歴史の中で、20世紀末に現れた人たちは極めて異常だったといつの日か言われるときが来るだろう。それまでの人類は変化をなるべく押しとどめようと努力してきた。そのために欲望を抑制し、人口も制御してきた。ところが20世紀の後半に現れた人々、とりわけ日本人たちはそれまでの人たちと明らかに違っていた。彼らは変化を抑制する機能が著しく低下していたのである。これはある種の病気であった。いろいろ制度をいじくりまわして結局またもとの制度に逆戻りするという現象なども多くみられたが、彼らはそういうことを繰り返しても変化させるという欲望を満足させられればそれでよかったのである。