コラム

ビエンチャンの中島みゆき

2012年2月20日

 

ラオスのビエンチャンでこの日曜日に仕事をしていたら、賑やかな音楽と話し声が聞こえてきた。2階の窓から外を見ると、数十メートル離れた小屋のようなところに20人ほどの人がたむろしているというのか、横に並んでこちらの方を見ている。音楽もかかっているので、何かお祝いごとでもやっているのかと思ったら、現地に住んでいる日本人が、そこの工事現場で働く人たちの飯場なんですよと教えてくれた。たしかにそこの空き地には大きな建物の基礎ができていた。「飯場は1人1畳ぐらいですかね、ラオスでは家族も来て何カ月もあそこで生活するんです。」日曜日といっても、みんなどこにも行くところがなくて、一日中飯場で肩を寄せ合っているのだときくと、同情を禁じ得ないが、しかしみんなが横に並んでこっちを見ている情景は、申し訳ないがユーモラスに映る。

日曜だから開いてないかもしれないといいながら昼食を取りに行ったレストランは、社会主義の国ラオスの友好国である北朝鮮が経営している店で、ウェイトレスたちは例の歓び組の美女軍団だという噂がある。そこで注文した石焼ビビンバは、韓国よりも北朝鮮の方が料理はうまいのではないかと思わせるくらいの味で、美女軍団にツーショットの写真を頼んだら簡単にOKしてくれる。店内に流れている紋切り型の国営テレビが玉にきずといえばきずだが、北朝鮮のアンテナショップの役割を立派に果たしていると妙に感心した。

ラオス行きもいくらか慣れてきて、今回でもう4回目になった。去年の9月にビエンチャンに来たときは、中島みゆきばかり聞いていた。村上春樹のエッセイに『ベネチアの小泉今日子』というのがあって、ほんとうにつらかったときベネチアにいて繰返し繰返し小泉今日子のカセットを聞いたという話が出てくる。それには、たしか人生にはほんとうにつらい時が必ずあるが、そういうときは何も考えないようにしてやり過ごすしかないというようなことが書いてあった。何が人をそんなにつらくさせるか、そこには書かれていなかったが、わかった。それで、そのエッセイをコピーして、鞄に入れておき、ときどき取り出しては慰めにしたものだった。