コラム

平清盛のマラリア

2012年10月20日

 

先月カンボジアに行ったとき、蚊に刺されるとデング熱やマラリアにかかることがあるから、気を付けてくださいよといわれた。最近日本から来た若い人がデング熱にかかってタイの病院に搬送されたばかりだという。マラリアも割合一般的な病気で、○○さんや△△さんもマラリアにかかってたいへんだったよねと話していた。昔見た映画で、かっこいい主人公がときどきマラリアの発作で苦しむ場面があった。それを思い出して、多少経験してみたい気がないでもなかったが、やはり避けたいという気持ちが勝った。

マラリアといえば、ちょうどNHKの大河ドラマに出ているが、平清盛がかかっていた病気がマラリアで、高熱発作を起こして亡くなったらしい。清盛は発熱のため火のように身体が熱くなり、比叡山の霊水をかけるとたちまち熱湯になったと伝えられている。当時の日本ではマラリアはごくありふれた病気で、平家物語にも出てくる九条兼実、新古今和歌集の歌人藤原定家などもマラリアを病んでいたそうだし、臨済宗の高僧夢窓疎石がかかっていたのもマラリアで、再発を繰り返してとうとう死に至ったという。しかし江戸時代に入って都市化が進み庶民の生活レベルが上がると、マラリアは軽症化して軽くなったというのである。

昔の日本人はどういう病気に苦しんでいたかというと、「この世をば我が世とぞ思う望月の欠けたることもなしと思えば」の藤原道長はじめ藤原一族は糖尿病に苦しんでいた。道長は、望月の歌を詠んだ翌日には糖尿病性白内障で目が見えなくなっている。

眼病も日本に多い病気で、江戸時代に日本を訪れた西洋人医師は、日本人が眼病の治療法を知らないために、どこの国よりも盲目の人が多いと驚いている。こうした眼病の中で一番目立ったのは白内障で、唐招提寺を建てた鑑真和上は、日本に来るために遭難を繰り返しているうちに目をやられたといわれているが、実は老人性白内障だったという。

長い間、日本特有の病気とされてきた病気に脚気がある。脚気にかかった日本で最初の患者はヤマトタケルだといわれている。脚気は、炎症が心臓に及ぶと死ぬこともあり、三代将軍の徳川家光も脚気で亡くなったと『病が語る日本史』という本に書いてあった。