コラム

すき焼きとしゃぶしゃぶ

2013年12月20日

 

テレビですき焼きを食べているのを見たら、急にすき焼きが食べたくなった。そういえば、もう何年も食べてない。適当な店を探して、予約を入れてみたら、どこもいっぱいだという。たかがすき焼きと思いつつ、いよいよ我慢できなくなり、懸命になって店を探し、ようやくその日のうちにありつくことができた。

ふー、満足。

昔は何人か集まるとよく「すき焼き」をしたものだ。誰かのアパートの部屋のこたつで、すき焼きの鍋を囲んで、持ち寄ったビールやサントリーのホワイトがなくなるとレッドなどをあおりながら、誰かの少し音程の外れた歌を笑いをこらえて聞いたり、いつの間にか議論に夢中になっていたりしながら、夜更けて、そのままこたつで寝入ってしまったりすることもあった。翌日の昼に食べるすき焼きが、また格別だった。うどんを入れたり、冷たいご飯にすき焼きの煮汁を掛けたりして食べた。その頃、「すき焼き」は、そんな風にして食べるもので、決して店で食べるものではなかった。

そんなすき焼きの時代は、1970年代の半ばで終わったように思う。代わって登場したのが「しゃぶしゃぶ」である。しゃぶしゃぶを私が初めて食べたのは35年前である。その日のことは今でもよく覚えている。会社の上司と一緒に、取引先の接待で赤坂のしゃぶしゃぶの店に連れていかれたのが最初だった。

挨拶をして、ビールを酌み交わし、先付けに箸をつける。そのときにはもう、テーブルの上の、真ん中に塔の突き出た鍋がグツグツと煮えたぎっていた。初めて見る形の鍋だった。あの塔はなんなのだろう。皿の肉とあの塔はどんな関係にあるのだろう。他人事のようにそんなことを思っていた。他人事でなくなったのは、「どうぞ、どうぞ」と取引先の人に勧められてからである。どうしたものか、困惑して上司の方を見ると、上司も「ほら、食べろよ」などという。

えーいままよ。私は肉を箸でつまんで、お湯の中に投げ入れた。それから、皆の顔を見て、事なきを得たことを知った。初心者の中には、真ん中の塔に肉を張り付けて怒られた人もいたそうだ。災難である。