コラム

難有う

少し前の新聞に、夏目漱石の手紙が見つかったという記事が出ていた。自分の講演を英訳して送ってくれた学生へのお礼状で、新聞記事には「難有う」と書いてあったので、えっと思ったが、漢籍に詳しい漱石のことだから、間違うはずがないと思って調べてみたら、やはりそうだった。もともと、つまり漢文では、「有難う」は「難有う」だったのだ。

話は、「坊ちゃん」の漱石から、「父帰る」の菊池寛の方に移るが、四国の高松に“菊池寛通り”があって、その近くに地元の大きな書店がある。昨年、そこに立ち寄って『お弁当の時間』という単行本を買った。飛行機で出張の時は、ANAの機内誌に連載されている『お弁当の時間』を読むのをいつも楽しみにしていたが、その連載がどうやら2巻の単行本になっているのを知らされたからである。

旅先では1巻だけにしておけばよかったかもしれないと思いながら、ページを開くと目に飛び込んでくるのは、ささやかな幸せがいっぱい詰まっている感じのお弁当の写真である。そしてそれを食べている人のさまざまな人生である。そう、『お弁当の時間』を読んで、私たちが知るのは、人の数だけ人生があるのだという当たり前のことである。そして、お弁当も人の数だけある。たまご焼きや、のりや、きんぴらや、ウインナーが健気に並んでいる。お弁当に込められている健気さが、なんだかそれを食べている人の人生の健気さのように感じられて、他人に優しい気持ちが起きる。

そうはいっても、私は自分のヒゲには寛容だが、他人のヒゲに対してはどうしても寛容になれない。街を歩いたり電車に乗ったりするとよく見かけるのであるが、似合わないヒゲ、長過ぎるヒゲ、まばらなヒゲ、うっとうしいヒゲ、結果として汚らしいヒゲ…などなど、心の中で思わず「剃れよ」と念じたくなるヒゲが少なくない。憲法は、個人の基本的人権や表現の自由を保障しているというが、こういうものは率直に言って制限をするべきではないかと思っている、私は密かに改憲論者なのである。