コラム

大いなる謎

2016年8月20日

 

自然界に雄と雌があるのはなぜか。ほんとうのところは理由がよくわかっていないと知って驚いた。雄と雌があるのは、ほとんど当然のこととして疑問に思うことがなかったからである。しかし、自然界には雄と雌の区別がない無性生物も多く存在し、そのことで特に不都合もなく、それなりに繁殖に成功しているという。たとえば、ミジンコは、何世代にもわたって無性で、みなメスであり、メスのミジンコを産み続けている。なのに、わざわざ雄と雌の区別がある有性生物が現れたのはなぜか。理由がわからないのである。ちなみに、ミジンコも何世代かに一度オスが生まれ、一時的に有性に転じることもあるそうだ。

人間にもし雄と雌の区別がなくなったら、どうなるか。すべての人間が、イエス様を処女懐胎したマリア様のような存在になるといわれると、面食らってしまうが、どうもそういうことらしい。

私たちは誰しも、なぜだかわからないが、何かいつも目に見えない手枷足枷のようなもので縛られていて、自由闊達におしゃべりしたり振る舞ったりすることができず、苦しい思いをしている。それに対して、マツコデラックスや美輪明宏などの雄と雌の区別がなくなった人たちが、驚くほど自由闊達にしゃべったり、振る舞ったりしているのを見ると、この区別がいかに強固な枠組みであり、人間の社会にとっていかに重要なものとして組み込まれているかがわかる。

雄と雌の区別は、疾病と関連しているというのが、今のところ最も有力な説である。それによると、世代ごとに遺伝子に変化をつけて、常に変化に適応しながら攻撃してくる病原菌などに打ち破られないようにするためであるとされている。

しかし、雄と雌の二種類の区別は、出会う相手の50%をパートナーとして不適当と排除することになるので、あまり効率的なシステムとはいえないそうだ。もし雌雄同体であれば、出会う相手の100%がパートナーになれるし、雄と雌だけでなく数万の種類があれば99%がパートナーになれるのにといわれても困るが、どうして雄と雌の二種類だけなのか、やはり本当のところは、神のみぞ知る、なのである。