コラム

下駄屋の主人

一枚の絵に強く引き付けられた。重松鶴之助という作者の「閑々亭肖像」という絵である。黄色の着物を着て藍色の帯を締めた、どうということのない和服姿の中年男を斜め前から描いている。小林秀雄に今一番の評論家だと言われ、芸術新潮に『気まぐれ美術館』を連載していた洲之内徹は、この絵のことをこう書いている。

「45年前、初めてこの絵を見たとき、白状すると、私はこの絵が欲しくてならず、こっそり持ち出して、どこかへ隠しておきたいような衝動にかられたのだったが、その時の気持ちは今もそのまま思い出すことができる。」

絵のモデルは、四国松山のある下駄屋の主人だという。その顔は、洲之内も言うように明治から大正にかけての日本人の代表的な顔のようにも思える。洲之内はその絵を、松山中学の先輩で鶴之助の友人でもあった山本勝巳の大久保百人町の下宿で目にした。その絵は、山本勝巳の弟の部屋の押入れの中に入っていた。弟は後に映画監督になって「戦争と人間」などを撮った山本薩男である。山本勝巳の三人の息子は俳優になった山本学、圭、亘である。当時の松山中学では、芸術家志望の生徒たちが出していた「楽天」という雑誌があり、楽天グループには、伊丹十三の父である伊丹万作や映画監督の伊藤大輔、俳人の中村草田男らも関わっていた。

しかし、私が驚いたのは、この重松鶴之助の関係者に、30年以上も前に少し接点のあった人の名前が出てきたことだ。当時、ある商業組合の解散を手掛けていて、何年もかかったので同席することも少なくなかったのだが、そこの理事長だった人の名前が、軽々しく言えない、抜き差しならぬ形で物語に登場するのである。

絵が盗まれる理由の多くは、売りさばいて金にしたい、経済的動機によるものだろうが、中には自分の身近に置いていつも眺めていたいという動機によるものがあるかもしれない。音楽や文学作品などと違って、画集は絵の代わりにはならない。『洲之内徹が盗んでも自分のものにしたかった絵』という本も出ているが、私もどこかの港町の場末のアパートの押入れの中に一枚の絵を隠し持って、今日も町工場に働きに出る一人の老いた男の後ろ姿を夢想するのである。