コラム

レフト

2025年9月19日

 

太宰治の『満願』は四百字詰めの原稿用紙で四枚ととても短い。だから、あっという間に読めてしまう。ただ、僕はずっと読まないようにしてきた。読むと亡くなった人を思い出して悲しくなるからである。が、出張中に酔っぱらってホテルのベッドに大の字になり、まどろみながら、つい文庫本の昭和の名短編をパラパラめくっているうち、収録されていた『満願』の文字を目で追ってしまった。

数えてみると今からもう五十年ほど前のことで、僕もまだ二十代の半ば前だった。太宰の『満願』をモチーフに僕は頼まれた漫画の原作を書いた。雑誌が発売になったので、原稿料を前借りできると思い、連れ合いを伴って出版社を訪ねた。帰りにどこかでうまいものでも食べるつもりだった。出版社は小なりとはいえ、ちゃんとした会社だったので、前借りは前例がないといってにべもなく断られた。そこを何とかなりませんかと、連れ合いの方を振り返りつつ粘ったが、どうにもならなかった。

とぼとぼと家に帰り、連れ合いは着物を箪笥から出して風呂敷に包みいつものところに出かけた。僕の背広も何度も持って行ったことがあったが、とうとうズボンに煙草の焼け焦げを作ってしまって、「田中さん、もう千円ぐらいにしかなりませんよ」と笑いながらいわれた。でも、僕たちは特に貧乏というわけではなかった。ただ、計画性がなかっただけである。

そのころ僕が漫画の原作を書くのに使っていたのは、小学生用の学習ノートだった。原稿用紙ではいかにも硬すぎる気がして、軽く書くのにちょうどよかった。小学生用の学習ノートは今でも使っている。この間、頼まれて買収先の会社に行き、相手の社長さんからヒヤリングをしてメモを取るのにカバンから小学生用の学習ノートを取り出したら、思わずニコリとされて場が和んだ。

一日の始まりと終わりに五分ほど、左手で文字を書く練習をしている。右手だけでずっとやって来て、左手は完全に冷遇してきたので、最初は金釘のような文字しか書けなかった。たどたどしく文字を書くのに小学生用の学習ノートが適している。ノートのタイトルはレフトだ。レフトの頁をめくると、ほんとに少しずつだが進歩しているのがわかる。右手は左脳、左手は右脳の働きに通じていると前に聞いたことがある。なにかのときに、一瞬、左手が知能を持ち出しているように感じたときがあって、やったと思った。