コラム

幸福の青いチップ

タシケントの地下鉄は世界で最もきれいな地下鉄の一つに挙げられているだけあって、荘厳な地下宮殿のような趣があった。1,000スムの紙幣で買った青い小さなチップを自動改札機に入れて中に入るのだが、1,000スムは日本円に換算すると14円。地下宮殿の入場料としては申し訳ない金額である。改札を抜けて行きあぐねていると、現地の若い女性がどうしましたかと声をかけてくれた。ウズベク人の女性なのだろうが、少しはにかんだ清楚なたたずまいが、なんだか子どものころ近所にいたきれいなお姉さんのような懐かしさを感じさせる。一緒にホームまで10分近い道のりを連れて行ってくれて、そこからは別々の電車に乗り、窓越しに手を振る姿にジーンと来たが、ままよ、さよならだけが人生である。

 

この8月に初めて行ったウズベキスタンの首都タシケントは、仕事のスケジュールが立て込んでいて、半日しか観光ができなかった。もっとも市内観光ツアーはイスラム教のモスクばかり行くので、半日もあれば十分で、できればナヴォイ劇場に行ってみたかったが、かなわなかった。

 

ナヴォイ劇場は、ソ連に抑留された日本兵の強制労働によって建設されたことで知られている。第二次世界大戦後、極東からウズベキスタンに連行された日本人25,119人のうち、9,760人がタシケントの都市建設に従事させられた。その中で457人がナヴォイ劇場の建設に携わった。日本人捕虜たちは、「日本人の誇りと意地にかけて最良のものを作ろう」という隊長の呼びかけに答えて、本気で仕事に取組み、予定工期を大幅に短縮し、わずか2年後の1947年10月に旧ソ連の四大オペラハウスの一つを完成させたのだった。タシケントは1966年の大地震によって壊滅的被害を受けたが、ナヴォイ劇場がびくともせず瓦礫の中に輝いているのを見て、タシケント市民は、日本人への畏怖と敬意の念を強くしたと聞く。

 

「子どもの時。毎週末、母親に日本人捕虜収容所に連れて行かれて、いつも同じことを言われた。『息子よ、ご覧、あの日本人の兵隊さんを。ロシアの兵隊が見ていなくても働く。人が見ていなくても働く。お前も大きくなったら、人が見ていなくてもしっかり働くような人間になるんだよ』。母親の言いつけを守ったおかげで、今日、私は大統領になれた」。これは、ウズベキスタン共和国のカリモフ大統領の言葉だそうだ。

 

今は昔の伝説である。

 

滞在したホテルは、行く前に事務所のIさんが調べたらタシケントでのランクが23番目のホテルだという。ランクにはいくつ載ってるのと聞くと、24だというので、心配したが、場末の古いホテルというだけで、想像していたほど悪くはなかった。近くにロシア人が営むバーを見つけて、行ってみたら、おぅ、一癖も二癖もありそうなロシア人ならず者たちのたまり場という雰囲気である。スキンヘッドに入れ墨の男に10,000スムの紙幣を渡して、日本円に換算すると140円だが、グラス1杯のウオッカを注がせる。杯を空けながら、ふいに西東三鬼の句を思い浮かべた。

 

露人ワシコフ叫びて柘榴打ち落とす