コラム

遠くに永代橋を見ながら

ほぼ1年にいっぺんだが、墨田川にかかる中央大橋を徒歩で渡って佃の方へ行く。といっても、大した用事ではない。1年にいっぺんの仕事で出かけたときに、八丁堀の方から何人かで連れ立って昼飯を食べに行くだけのことである。そこからは、永代橋が見えるので、「あの永代橋は江戸時代に落ちたことがあるんですよ」と見てきたようにいうのが、私の専売特許のようになっている。

 

文化四年(1807)というから、今から200年ぐらい前の話である。寛政七年(1795)に喧嘩騒ぎがあってしばらく中止になっていた深川八幡祭りが、この年13年ぶりに再開された。余計なことだが、2018年の深川八幡祭りは、去年の暮れに喧嘩騒ぎどころではないひどい事件があったのに、予定通り8月15日に開かれるとのこと。江戸時代とはまるでテンポの異なる社会、感覚や論理のかけ離れた時代に生きていることを、我々は知らされるのである。

 

その日8月19日の江戸の町は、朝から快晴であった。8月15日の予定が雨続きのために遅れたことも人気をあおり、江戸中から祭り見物の人々が詰めかけ、恐ろしいほどのにぎわいを見せていた。永代橋に押し寄せた群衆も数万を超えていた。そこへ一番山車が登場すると、待ってましたとばかり人々は永代橋を渡ろうと殺到した。老朽化した橋は、群衆の重みに耐えきれず、橋脚がめり込み、橋桁が崩落した。人々は次々と川に落下し、何が起きたかわからないまま、押し合いへし合いしながら、折り重なって落ち続けた。そのとき、一人の武士が刀を頭上に振り回し、「斬るぞ」と叫んだ。驚いて、人々の殺到は止んだ。この武士は南町奉行組同心、渡辺小右衛門といい、その名を後世に伝えられた。

 

川から引き上げられた780人のうち、340人が助かり、440人が亡くなった。他に品川、上総、房州の浦々に流された者も多く、死者の数は2、3千人にのぼると滝沢馬琴は書いている。

 

世界に目を転ずると、永代橋よりも、落ちたことで有名なのはロンドン橋である。12世紀に石造りになるまで、頻繁に落橋を繰り返したというが、童謡の『ロンドン橋落ちた』は、不吉な歌詞と明る過ぎる曲の合わせ技で、世界中の人々の耳に残っている。