コラム

中央線の風景

日曜日ののどかな午後、高円寺の駅のホームのベンチに座って、週刊新潮を読んでいる人がいたので、思わず隣に座ってのぞき込んでしまった。週刊新潮といってもタダの週刊新潮ではない。覗き見た表紙の題字には、「潮新刊週」とある。うぬっ。これはひょっとして戦前の…?と思ったが、そんなはずはなかった。週刊誌は戦後の大衆社会の産物である。週刊新潮も、戦後でなければならない。その頃はまだ、題字の横書きも、右から左にだったのかと感動したが、後で調べてみると、そんなことはなかった。週刊新潮の発刊は昭和31年で、題字は左書きだった。日本ではだいたい昭和18年ぐらいから、横書きは左から右が増えて、昭和20年の終戦後は全て左書きになったという。

 

とすると、私が見た「潮新刊週」は、本の古さから受けた目の錯覚というしかない。それを読んでいた人は、高円寺の古本屋ででも掘り出し物を見つけたのだろう。昔の愛書家を彷彿とさせる小津映画にでも出てきそうな老紳士だったが、大事そうにセロファンの袋に入れて風呂敷に包むと、そそくさと三鷹方面の電車に乗って去った。私は最敬礼こそしなかったが、心の中ではそれに近い気持ちで見送った。

 

佐藤紅緑の小説『ああ玉杯に花受けて』に、カツレツをカトレットと発音する英語の先生が出てくる。外人と話をするのに先生の発音では通じませんと生徒にいわれる。「それだから、君等はいかん。語学を修めるのは外人と話すためじゃない。外国の本を読むためだ。通弁になって日光の案内をしようという下劣な根性のものは明日から学校へ来るな」。

 

ある日、生徒が英語の和訳を左から右へ横に書いたのを見て、先生は烈火のごとく怒った。「君等は夷狄の真似をするか。日本の文字が右から左へ書くことは昔からの国風である。… それを君等は浅薄な欧米の蛮風を模倣するとは何事だ、さあ手をあげてみたまえ、諸君のうちに目玉が青くなりたい奴があるか。… 日本を欧米の奴隷にしようという奴があるか」。… この日ほど激しい感動を生徒に与えたことはなかった。『カトレットはえらいな。』と人々は囁きあった。

 

『ああ玉杯に花受けて』は、大日本雄弁会講談社から昭和3年に発行されている。