コラム

昭和最後の秋のこと

2017年11月20日

 

宇宙とは「時空」の意味だと今まで思わなかった。宇宙と聞くと、銀河の向こうに広がる宇宙空間のことしか思い浮かばなかった。古代中国の『淮南子』という本に、宇宙の宇は上下四方の空間をいい、宙は古往今来の時間をいうと書いてある。してみると、宇宙の住人は、現在の私たちだけではない。過去の人々も宇宙に存在しているということである。どおりで、私たちは始終過去のことを思うわけだ。現在の私たちは、目の前の現実に集中するよりも、過ぎ去った過去の情景を思い出したり、過去の人々の顔を思い浮かべたり、その声を聴いたり、過去の自分のことを振り返ったりすることの方がむしろ多い。それは、同じ宇宙に過去の人々の住む世界が存在しているからではないかと思えてくる。

 

ところで、昭和63年の秋は、何をしていただろう。そんなことを思ったのは、山下ヤスミンという、サンパウロ郊外に住む日系4世のブラジル人少女の歌を聞いたからである。山下ヤスミンは、まだ10歳の少女だが、阿久悠作詞、浜圭介作曲の『昭和最後の秋のこと』をブラジルの歌のコンクールで歌っている。

 

歌は、「貧しさもつらくない。四畳半にも夢がある」と陳腐な歌い出しだが、山下ヤスミンが歌うと一瞬で魂が揺すぶられる。そして、「嘘をつかない約束で、肌を寄せあう二人なら」と、陳腐な歌詞はまだ続くが、山下ヤスミンに揺すぶられた魂はそこから離れられない。それから一気に情感が盛り上がって、「死にましょうか。生きましょうか。生きましょう。生きましょう」と歌い上げると、聴く側のいろいろな思いが湧き上がってきて、胸がいっぱいになる。あなたの歌を聴くと涙が出てくると日本語のわからないブラジル人の審査員は言ったのだ。

 

昭和63年の秋、人々は今と同じように自分なりの幸福と不幸を隣り合わせに暮らしていた。私はまだ30代で公認会計士にはなっていたが法律事務所に勤めていた。昭和が終わりかけていると漠然とは感じていたが、それが昭和最後の秋になるとは思っていなかった。