コラム

できない相談

2023年11月20日

 

阿佐ヶ谷の『書楽』が閉店するというNHKのニュースを見て暗い気持ちになった。太宰治や井伏鱒二ゆかりの書店とまでは知らなかったが、ひと月に一度か二度、『書楽』で本を買って、それを読みながら隣の二階の喫茶店でランチを食べ、帰りに二軒先の亀屋万年堂でお菓子のホームラン王ナボナを買って帰る。ささやかな僕の楽しみが奪われるのだ。

 

ある日、古本屋の百円コーナーで見つけた戸板康二の『ちょっといい話』。絶版になって久しいが、そこに宮城まり子さんの話が載っていたので思い出した。掛川のねむの木学園や上野毛の吉行邸に伺っていたのは、今から十八年前のことだ。いつも突然電話がかかってきて、「明日いらしてくださらない」と言われると、とるものもとりあえず朝一番で掛川に駆けつけるというスタイルができてしまっていた。宮城さんの電話は厚労省にもよくかかって来たらしい。田舎の後輩で当時厚労省の課長をしていたK君になにかの時に打ち明けると、「先輩、私もですよ」と言っていた。ちなみに、K君は後に厚労省の事務次官になった。

 

宮城さんは八十歳になるかならないかぐらいの頃で、その頃の僕は、年輪を重ねた年上の女性の魅力にまだ気が付かなかった。その感じがそれとなく伝わったのだろうと思うが、宮城さんは、「田中さん、わたし、昔はかわいかったのよ」と少し怒ったような、少し悲しいような顔で言った。

 

人に出会って、この人はどういう部屋に生きているのだろうと想像する。職場を中心とする小世界だろうか。家庭を中心とする小世界だろうか。それともそれ以外の精神世界だろうか。僕はひそかにそれをセル(細胞、小室)と呼んでいるのだが、現代はそれぞれの人がバラバラのセルの中で生きているセル社会だと思う。人体のセルは一つの身体に統合されているが、セル社会のセルは、バラバラのまま統合されることはない。セル社会のセルの中で誰もが小さく生きている。セル社会のセルを統合するには、狂気を生き延びる道を求めなければならないが、それは現代人にはできない相談だ。