コラム

レヴィストロースの知性

2023年9月20日

 

クロード・レヴィ=ストロースが1986年に日本で行った講演を聞いた。もう何度目かになる。おそらく世界最高といっていい、この人の知性がどのようにして形作られたのか、考えながら聞いた。ソルボンヌ大学の法学部を卒業してリセ(高等中学校)の教員をしていたという。早熟な政治少年だったせいか、サルトルやフーコーのようなエコールノルマル出身のエリート層には属していない。しかし、リセの教員をしながら、心奥に秘めた上昇志向の持ち主だったに違いない。上昇志向の希薄な人間に知性は育たない。といって、損得勘定だけの人でもなかった。損得勘定だけの人に知性は無縁である。レヴィストロースは、損得を忘れて思索や研究に没頭する一方で、どうしたら出世できるかを勘定することも忘れなかった。その複雑な心の動きがレヴィストロースの知性を形成したのだと思う。

 

むかし、世話になった高校の先生に上京の挨拶に行ったら、勉強もしないでよく受かったなあ、だけど今年は浪人して来年受けなおしたらどうか。その大学も悪くはないが、損得を考えることも大事だよと先生は言った。聞く耳を持つような18才ならよかったのだが、そのことがのみこめるまでずいぶん年月がかかった。知性は損得勘定がなければ育たないのだ。しかし損得勘定だけでもだめだ。損得を忘れるところがなければ知性は進化しない。

 

同業者には損得勘定に長けた人が多い。それで、一緒に何かやっていると「田中さん、そんなことをして、なんの得があるんですか」という。「いや、得にはならないよ。ただ、誰かがやる必要があるんだ」と答えると、「僕は得にならないことはやりたくないですね。」という。ああだから、この人の知性はたいしたことないんだ。こっちも、だからたいしたことないんだけどね。

 

しかし知性は、人を幸福にはしない。いや、知性は人を幸福にすることはできない。幸福や不幸を突き抜けたところにある真理を見つめることができるだけだ。