コラム

再び、駅への長い道

1998年7月20日

 

鈴鹿にF1を見に行った。ダンプと交通事故を起こしたばかりで、あまり車を見たい心境ではなかったが、苦労して手に入れたチケットとやっととれた宿を無駄にしたくない一心だった。数ヶ月前、チケットが売り出された日に娘と電話をかけまくったが、とうとう1日中つながらなかった。チェコにいる身内を通してようやく手に入れたチケットである。ホテルを取るのも一苦労だった。1年前からの予約客が多くて、四日市、桑名はおろか名古屋のホテルまでがどこもかしこも満室だという。鈴鹿からはかなり離れているが、伊勢の山間の宿がとれた時にはほっとした。

名古屋から近鉄電車に乗って、白子で降りると、数百メートル先のバス停まで長い列が幾重にもなって続いている。鈴鹿に着いたら着いたで、また長い列である。食事も、手洗いも、とにかく列、列、列である。ともあれ、予選ではミハイル・シューマッハがポールポジションを勝ち取り、好レースが期待できる展開となってきた。

その日、予選が終わり白子から近鉄電車に乗って着いたのは、松坂の先の斎宮と書いて「さいくう」と読む小さな駅である。真っ暗な中にぱらぱらと降り立った乗客があっという間にかき消えてしまった。娘と二人取り残されてひどく心細い。「この気分、サイクゥーだね」などといいながら待っていると宿からの迎えがきて、灯り一つない山道を揺られていくと村の公民館のような建物が確かに建っていた。中に入ると、外人客がいっぱいいて、妙にほっとする。今年の優勝候補、ミカ・ハッキネンの応援団だろう。フィンランド国旗がいくつも置いてある。案内されて部屋に行くと、どこかで見た懐かしい風景である。そうか、昔住んでいた6畳一間のアパート。小さな流しもついている。なるほど、長期滞在型のコンドミニアム・タイプと案内にあったがこのことだったか。

決勝の日はさすがに興奮する。昨日までの空席がびっしりとつまり、うんと遠くの山の斜面まで人で埋め尽くされているのを見ると、「ああ、人はいくらでも異常になれるのだ」となんだか不思議な感動におそわれた。

イベントブームは大国が衰亡するときに起こる共通の現象の一つだと何かで読んだ。古代ローマ帝国でも市民たちが少しでもいい席を取ろうと何日も泊り込んだという。確かにF1レーサーたちのサーキットは、剣闘士たちが命を賭ける現代のコロシウムである。

勝負は、あっけなくハッキネンの勝利で終わり、それから怒涛のような民族大移動が始まった。バスを待つか、1時間歩くか迷ったが、結局、「1時間、1時間」と唱えながら駅への長い道を歩いた。途切れなく続く人の波は、なんだかレミングの行進のようだと思わないわけにいかなかった。