コラム

2000年の後

1999年8月20日

 

公園に面した道が100メートルほど直線で伸びている。道いっぱいに積もっていた落ち葉が日を追うごとに少なくなってきた。カサカサと鳴る落ち葉を踏んで誰もが足早に行過ぎる。朝の冷気を感じながら歩く冬の歩道は、好きだなあ。余計な脂肪が増えているせいか、このところどうも夏は好きになれない。冬の方が断然いい、風邪さえひかなければ。

といっても、暑い夏をくぐりぬけてきたからこそ、冬の良さが味わえるのだ。季節の移ろいはありがたい。季節感が薄くなったといわれる現代だが、厳然としてこの国にまだ四季はある。

先日、ある会で高名な税法学者を招いて話を聞いた。先生は「権力におもねず、時勢に流されず、租税正義を貫く」というのが口癖だ。後でこっそり聞いてみた。「先生、権力ってマスコミ権力のことですよね。国家権力のことじゃありませんよね。国家権力は今は弱いですからね。それから、時勢って、アメリカのことですよね」。先生は黙って肯いておられた。

来年は2000年になるが、2000年前はどんなことがあったのだろう。日本史年表をひもといてみると、西暦57年に倭の奴国王が後漢の光武帝に朝貢をして印綬を受領したという記録が『後漢書・東夷伝』にある。この印綬は江戸時代に志賀島で発見されたものだ。それ以前の記録は『漢書・地理志』に「楽浪海中に倭人有り、分かれて百余国をなす」とある。だいたい紀元前1世紀頃の記録だが、村が集まって国ができはじめた頃だと考えられている。それから2000年たって、今のこの国の姿である。

これからさき、この国はどうなっていくのだろう。今年行われたことを見たり、これから行われることを聞くと、どうも政府は悪い札ばかり引きそうに思える。経済学の概念に「合成の誤謬」というのがある。一人一人の個人は合理的な行動をしていても、全体では不合理な結果になることがあることを意味するものだが、まして合理的でない我々が集まってやっていること、悪い札を引くのは仕方のないことかもしれない。

「この国にはもう守るべきものは何もない」と、いつか誰かが言った。「昔はあったの?」と聞くと、一つだけあったと言う。「貧しさの美しさ」があった。かもしれない。「貧しいけれど美しい、貧しさの中の美しさ」。それを守るために多くの兵士が死んでいったのだ。そう思ったら、目頭が熱くなってきた。あとで『きけ、わだつみの声』でも読もうかな。気持ちを引きずっていたら、歌が思い浮かんだ。

「守るべきものの一つも今はなき、この国に生き、この国に死す」

なんだか、どっかの右翼の親玉がひねったみたいな、どうしようもない下手くそな歌もどきみたいな気がしてきたが、ま、こんなもんだ。

コンピュータの2000年問題も気になりますが、ともあれ、皆様よいお年をお迎えください。それから、来年もキャット・ニュースをよろしくご愛読ください。