コラム

平和軒のラーメンはお好きですか

2003年1月20日

 

男女共同参画社会を推進する女性団体の会合に参加する機会があった。もちろん男性の参加者は圧倒的に少ない。名刺を交換すると結構お偉方である。その中の一人が挨拶に立った。いかにも挨拶慣れしている風である。話が始まった。思ったとおり流暢である。と、「うちのばばあが…」ときた。一瞬会場に緊張が走り、参加者の面々の表情がこわばった。しかし、「うちの祖母のことですが…」と続いたので、なんとか事なきを得た。

最近は、「ばばあ」などという言葉には気をつけなければならない。たまにいくラーメン屋の、女店主がと言わなければならない。で、たまに行くラーメン屋の女店主がである。異常に五月蝿いのだ。声も異常に大きい。たとえば、どちらかというとラーメンはスープをかなり残す方である。そうすると当然「おいしくないの」とくる。答えあぐねていると、「口に合わないんじゃないの」とくる。最後には「無理して食べに来てるんじゃないの」ときた。ラーメンが格別うまいわけではない。かといって、まずければ食べに来ない。うまさとまずさのほどほどのところにどうもはまっているような気がする。ラーメンはうまければいいわけではない、まずさも必要だというのが自説である。5年間教えに行っていた短大を今期限りで辞めたが、学食のすこぶるまずいラーメンを最後に食べ忘れたのがなんとも心残りだった。

年末から年初にかけて、テレビはラーメン特集を盛んにやっていた。これは現代という時代の異様さを象徴しているようにも見える。不況が続いてさまざまなものの消費が衰えたが、日本人の食欲だけはますます旺盛になっている。街を見ても食い物屋だらけで、以前よりも行列を見かけることが多くなった。人はストレスがたまると食欲に向かいやすいそうだが、これは集団的ストレスによる食欲過多の現われではないか。いずれにしてもわが日本は表向きはあきれるほど平和であり、アジアの人たちから見れば楽園に映るだろう。

人間いたるところ青山ありという。人はそれぞれの運命に従って、どこへ流れ着いていくかわからないが、それぞれに安住の地があるということだと思っていた。ところが、どうもそんなことではないらしい。人はなによりもまず安きにつく生き物であり、目の前に楽園の門が開かれていれば、そこに入らない者はいないのだ。