コラム

危ない綱渡り

2003年10月20日

 

人の生活にとって慣れというのはとても大切なことだと思う。傍目には死にそうな力仕事も案外慣れている本人は平気だったりする。慣れていないと、身体もだが心もしんどい。めったにしない車の運転などは、いつまでたっても危ない綱渡りの感覚が抜けないで、ガチガチになってハンドルを握り締めているので疲れ果てる。車庫入れに苦労して何度も切り返していると、バイクに乗った若者に罵声を浴びせられてカチンと来そうになるが、いけないいけない、世の中の大半の殺人事件はこんなつまらない面子へのこだわりから起きているのだ。

新聞を開くと若者の凶悪犯罪が大きく報道されていることが多いが、わが国の殺人事件の割合は、この50年ほど一直線に減少しているのだという。しかも、若者の殺人率が激減したことがこの減少につながっているのだという。意外だが、こんな国は世界のどこにもないのだそうだ。どこの国でも、20代前半の若者の殺人率が突出して高く、わが国の若者だけが減っている。つまり、日本の若者は世界でもっとも人を殺さないというのである。

これには、いろいろな理由が考えられるが、一つには“慣れ”があるのではないかと思う。若者といえば、慣れない社会で危ない綱渡りをしながら、綱から落ちなかった者がなんとか慣れを身に付けて、成熟までたどり着くというイメージだが、それはかつての若者の話で、今の日本の若者の多くはすっかり社会慣れしているのではないか。昔はあったはずの子供社会と大人社会の垣根もすっかり希薄になってしまっている。また特に苦労して成熟など目指さなくとも、そのままで社会に居場所が見つけられる。

何かの拍子にふとS氏のことを思い出して、インターネットで検索をかけてみたら、もう10年以上前になくなっていた。なぜそんなことまでわかったかというと、S氏の遺稿集が出版されていて、収録されている図書目録がインターネットに掲載されていたからである。

S氏と最後に話をしたのは、ふた昔以上も前になるが、台風が去ったばかりの港の近くの喫茶店だった。私は御世話になりましたと言い、S氏は何も言わなかった。別れ際に、「お前はまだ危なっかしいが、面白い奴だから簡単にくたばるなよ」という言葉だけが耳に残った。貧乏だったS氏が贈ることの出来た精一杯の餞別だったのだとしばらくたってから思った。

出版社に電話をかけて遺稿集を取り寄せ、年譜に目を通してみて、昭和12年生まれだったことや、最後の10年くらいは推理小説の作家をしていたこと、そして油が乗りかけていた矢先になくなったことを知った。