コラム

もうごめんだ!

   2005年2月20日

 

「結婚して子供を生み、そして、子供に背かれ、おいてくたばって死ぬ、そういう生活者をもしも想定できるならば、そういう生活の仕方をして生涯を終える者が、いちばん価値がある存在なんだ。」

『生きていくのに大切な言葉 吉本隆明74語』(勢古浩爾・二見書房)の最初の言葉である。15のときから吉本隆明を読んできたが、なぜそんなに吉本に惹かれ続けたか、この本に理由が書いてあった。生きていくのに大切な言葉が、いつもそこにあったからだ。

長い引用になるが、次の文はいつ読んでも切ない。

「わたしの悪ガキ仲間で、野球がうまくスポーツ万能で少年野球のキャッチャーをやっていた仲よしがいた。ふところが大きくてすばらしい資質だった。こんな子がこの社会で立派な場所に行かなかったらおかしいとおもっていた。かれは小学校を出ると魚河岸の兄ちゃんになった。ふところが広くて、いまでも懐かしいほどだ。暴れん坊でありながらおうようで、素晴らしい資質の男だった。

だが昔も今もこの社会はこういう男に与える場所などどこにももっていない下らない社会なのだ。教師も駄目、学校も駄目、この社会も駄目、彼みたいな男がみるみる枯れてしまうようにしかできていない。だけどどこかでこの珠玉のような人柄を磨きあげる場所がなくてはならないはずではないか。彼を思うといまでも泣きたくなる。」

何人かの人を思い出して、こっちも泣きたくなる。

「頭髪を無造作に苅った壮年の男が、背広を着て、両手をポケットに突っ込んだまま、都会の街路樹の下をうつむいて歩んでゆく。」

吉本が高校生の頃、友人と将来こういうものに自分はなりたいと言うことを言い合ったときの自己像だそうである。

30年ぐらい前に、神田の古本屋街で吉本を見かけたがちょうどこんな感じだった。両手をポケットに突っ込んでいたが、背広じゃなくてジャンパーだった。

それから何年かして、吉本の家を訪ねる機会があった。ああこの人が吉本隆明なんだと思いながら、子供部屋だったか、漫画がいっぱい本棚に詰まっていたのが印象に残っている。

「もうごめんだ。」

もう一度生まれ変われたら何になりたいですか?というアンケートに対する吉本の答えである。他には、「お歳暮に何が欲しいか」と聞かれて「ねじ回し」と答えている。