コラム

しょうのない右手

2007年7月20日

 

じゃんけんで負けて蛍に生まれたの。初恋のあとの長生き春満月。前へ進め前へ進めと帰らざる。ピーマンを切って中を明るくしてあげた。

最近ときどき行くようになった酒場で教わって手帳に書き留めておいた俳句である。そこは廃人、じゃなかった俳人の集まる酒場で、いつも明け方近くまで騒がしい。店の蓄音機から聞こえてくるのは昔の小学唱歌だったり、昭和初期の「あきれたボーイズ」だったりするが、オーティス・レディングの古いレコードもときどきかかる。しかし、とりわけてほかの酒場と違うところというと、そこに集まってくる人たちの元気である。俳人はみな驚くほど元気で、話し好きで、底なしに酒好きである。この間は、深夜の腕相撲大会でひとしきり盛り上がった。勝ち抜き戦で、加減をするのも相手に失礼だ、虎はネズミを相手にしても全力を出すというではないか、虎じゃなくてライオンだったか、酔いの回った頭でわけのわからないことを考えたながらやっていたら、いつのまにか勝ち残って、とうとう横綱になってしまった。しかし、相手は廃人、じゃなかった俳人である。いわゆる文弱の徒や女の細腕を打ち負かしたとてなんの自慢になろう。私は自分の右手をしょうのない奴だと思いながら店をあとにしたのだった。

ところで、永田町や霞ヶ関界隈を歩いているといたるところに警官が立っている。あの人たちは、一応やはり政府の中枢が攻撃を受けないように守っているのだろうが、昔は刀や槍を持ち弓矢を構えていたのだろうと、そんなことをふと思った。今は反乱なんて空想の世界だが、明治政府などはいつ反乱軍にやられるかわからない状況だったし、江戸幕府や鎌倉幕府、大和朝廷なども危機感が強かっただろう。ただ、昔は彼らが刀や槍で守っていた中枢にいる人たちは世襲だった。そこが今と違うところと言いたいが、今もほとんど世襲になっている。なぜ、世襲化が進むのかといえば、そうしたいという人たちの強い意志がそこにあるからだ。もうじき選挙だが、有象無象の我々はその強い意思に対してとうてい太刀打ちできないのだ。