コラム

一度だけの経験

2008年2月20日

 

これまでに一度だけ飲んだことのあるものが、私には二つある。一つはスッポンの生き血。これは一度だけでいい。もう一つがロマネ・コンティー。至高のワインである。こっちは一度といわず何度でも飲みたいが、なかなかその機会が訪れない。どうかまたいつかその機会がありますように。

食べ物ではなにがあるだろう。はっきりした記憶はないが、むかし確か熊の手を食べたことがあった。待てよ、あれは見せてもらっただけだったかもしれない。蜂の子も一度食べたが、一度だけでいい。蛇も、一度だけにしてもらいたい。イナゴは勧められて何匹か食べたが、どうかもう食べなくてすみますように。

それから、音楽で一度だけのものといえば1966年6月30日のビートルズの日本公演と言いたいところだが、言えない。

それより、この間、ビージーズの『マサチューセッツ』を久しぶりに聞いたら、心の奥底から懐かしさがこみ上げてきてまいった。それからというもの、出てくる鼻歌が『マサチューセッツ』から切り替わらない。調べてみると『マサチューセッツ』は1967年~1968年にかけてヒットした曲だった。

どうりで、懐かしいわけだ。

1960年代で時計がストップしてしまったと周囲にいわれている、Nさんという人が知人にいる。Nさんはみんなが忘れてしまった60年代以前のことを異常なほどよく覚えていて、その思い出のおもちゃ箱の中からいろんなものを引っ張り出して見せてくれる。『マサチューセッツ』もNさんが聞かせてくれたのだが、60年代で時計がストップしてしまったという感覚は実をいうと私にもある。70年以後はどうも現実の世界じゃないような気がして仕方がなかった。おそらく同じ世代でそういう人はけっこういると思う。

日本は60年代までが戦後だった。70年代は空白期。80年代から変質が始まって、今はもうその頃の日本とは似ても似つかぬ国になっている。だから、60年代はその頃の人々の心に鮮烈に残っている。しかし、それにしても『マサチューセッツ』が立ち昇らせる時代の香りは格別だ。他の曲ではこうは行かない。たとえばスコット・マッケンジーの『花のサンフランシスコ』も同時期にヒットした曲だというが、どこかが違う。『マサチューセッツ』には、何か特別に郷愁を呼び起こすようなものがある気がする。