コラム

私の隠れ家

2009年1月20日

 

市ヶ谷にあるその小さな書店は、ひと月に一度、日本○○協会の朝から一日中続く苦役のような会議の昼休みに、息を吹き返すために足を運ぶ私の隠れ家である。意外な場所にあるせいか、誰も知った顔に会わない。置いてある本は店主の嗜好がかなり強く出ているので、ふりの客は早々に立ち去り、あとは2~3人の常連のような雰囲気の客ばかりとなる。早く帰ってもしょうがないので、いつも昼休みのぎりぎりまで使って、店の隅から隅までじっくり吟味する。それは本を吟味するというより、店主の嗜好を吟味するという感じに近い。特に新刊本のコーナーは、一冊一冊を手にとって、ためつすがめつする。

この日は30分ほど品定めして3冊の本を買うことにした。まず、古い本棚からスティーブン・オッペンハイマーの『人類の足跡10万年全史』。人類は20万年前にアフリカに生存した1人の女性を共通の祖先としているというが、そこからどのようにしてアフリカを出て世界中に広がっていったのか。人類の出アフリカについての、わくわくするような本だ。

新刊本のコーナーから選んだのは吉本隆明へのインタビュー集『貧困と思想』。84歳になった吉本は、本の中でこんなことを言っている。「僕は言葉の本質についてこう考えます。言葉はコミュニケーションの手段や機能ではない。それは枝葉の問題であって、根幹は沈黙だよ、と。」そして、沈黙が欠けた言葉は、「それは貧しい木の先についた、貧しい葉っぱのようなものなのです」と。それで、わかった。毎日毎日いやでも紙面を埋めるために、あるいはCMとCMの間をつなぐために吐き出されて、我々のもとに届くマスコミのことばは、言葉の根幹である沈黙が欠けた貧しい葉っぱだったのだ。

それから、3冊目の竹内洋『学問の下流化』を取ろうとしたら、脇からすっと手が伸びて同じ本を取った人がいた。同じものが2冊あったので、ちらっと目線を交わして一冊ずつとったのだが、その人の顔には見覚えがあった。どこで見た人だろう。そうだ、テレビに出ている人だ。たしかレギュラーのコメンテーター。へーえ、こんな本を読んでるのか。

この本には、竹内が「学歴貴族の竹内先生ですね」といわれて、「そうです」と答えてしまったエピソードが載っている。『学歴貴族の栄光と挫折』と題する本を書いたら、そう言われるようになってしまって、とんだ災いだと。