コラム

対馬海峡冬景色

2014年4月20日

 

一般論としての話である。職場には上司と部下がいる。上司が部下に期待することは何か。自分の負担を分担して少しでも楽にしてくれることである。ところが、中には上司を楽にしてくれるどころか、上司の負担を増やしてばかりいる部下がいる。なぜそうなるか。その部下は上司の負担を減らすために自分が雇われたと、もともと思っていないからである。それどころか、その部下は自分の負担を減らすことが上司がやるべきことだと思っていたりする。

そうなると、もうその上司と部下はかみ合わない。上司にとって、その部下は自分の負担を増やしてばかりいる困った存在だし、部下にとってその上司は自分の負担を増やしてばかりいる嫌な存在ということになる。しかし、部下は勘違いしてはいけない。上司が部下を雇っているのであって、部下が上司を雇っているのではないのだ。

アメリカの刑事ドラマには、必ずと言っていいほど、FBIや警察組織の上司と部下の関係が出てきて、それが織りなす縦糸と加害者や被害者の横糸が絡み合って、ドラマに奥行きを感じさせるような演出になっている。日本の刑事ドラマももちろんそうだ。というより、アメリカの刑事ドラマには「FBI」と「地元警察」、日本の場合だと「本庁」と「所轄」ばっかり出てくるので、誰もがいささか食傷気味になっているというのがほんとのところだ。それで、最近のドラマは、「FBIは引っ込んでいろ」と超法規的権限を持つチームが登場してきたりして、上と下の関係をぶっ壊すところがスカッとするかと思いきや、そこにもまた上司と部下の関係が出てきて、結局ほとんどのこういうドラマは、上司と部下の物語だったのだとようやく腑に落ちた。

韓国の旅客船の事故と、被害者家族の嘆き怒る様子を見て思った。どこの国でも、政府というか、政府の機関はそんなに能力があるわけではない。ドラマのような、そうあの『海猿』のような活躍を人々は期待するが、普通の人間が集まっているだけだから、それを期待するのは酷というものだ。人々がおろおろしているのと同じように、政府もおろおろしているばかりだ。原発事故のときの日本政府がそうだったし、今もそうだ。だから、なにか事故が起きたとき、政府に期待してはいけない。それでは、ただ、はらわたが煮えくり返るだけだ。