コラム

小豆のとうふ

2024年1月19日

 

昭和の歌が懐かしくて聴いていたら、山崎ハコが出てきたので思い出した。そういえば、18歳の山崎ハコにインタビューしたことがあった。歌舞伎町の喫茶店で、僕がチャラい芸能記者よろしく、「ハコちゃん、デビューできてラッキーだったね」と水を向けると、ムッとした様子で、「ラッキーとは思いません」と返ってきたのを覚えている。まずいことを言ってしまったなと少し後悔しながらインタビューを続けたが、結局あまり盛り上がらず、他に覚えているのは、大分の日田の出身だったことで、ちょうどその頃親交のあった作家の阿奈井文彦が同じ日田の出身だと聞いていたので、へえ同じところなんだとそれだけが妙に印象に残った。

 

ところで阿奈井さんはどうしてるかなと思って、検索してみたら、悲しいことに2015年に亡くなっていた。最近そんなことが多いが、その頃、つまり僕が山崎ハコにインタビューしたころ、阿奈井さんは早稲田の古い喫茶店の近くに住んでいた。『アホウドリにあいにいった』、『アホウドリの青春不案内』などのシリーズに続いて、『喫茶店まで歩いて3分20秒』という本まで出していたぐらいだから、喫茶店に着いてから赤電話をかけてもほとんど待たされなかった。ところが、それには住まいを明かしたくない理由があって、僕らが知っていたある女性編集者と一緒に住んでいるからだと友人が言い出すので、あの二人がありえないよ、必然性がないよ、小豆のとうふだよとまで言い合って、ひとしきり議論したことがあった。

 

大分の日田は久留米と大分を結ぶJR久大線のいくらか久留米寄りのところに位置している。僕は久大線に乗って連れがあったりすると、日田では山崎ハコと阿奈井文彦と、そして必ずタモリの話をする。ここはね、むかしタモリがボーリング場の支配人をしていたところなんだよ。ワセダを中退して福岡に帰ってきたタモリは生命保険の営業マンをしていたんだ。朝日生命だったかな。だけど、例の調子で話がうますぎるので、かえって信用されず営業成績は振るわなかった。それで肩たたきにあって、朝日生命で知り合った妻とこの日田に流れてきて、ボーリング場の支配人をしていたんだよ。僕はこの話がけっこう気に入っていて、実のところ久大線に乗り合わせているときでなくても、この話をしたくなる。