コラム

番狂わせの一番

横綱稀勢の里の調子が悪い。優勝してあちこち引っ張り出されているうちにすっかり脇が甘くなり勝てなくなってしまった琴奨菊に比べると、稀勢の里は意識して脇を締めているようなところがあって、まさか琴奨菊の二の舞になるようなことはあるまいと思っていたが、雲行きがだいぶ怪しくなってきた。

 

稀勢の里は第七十二代横綱だが、これを六十代遡って、第十二代横綱に陣幕久五郎という力士がいる。幕末から明治にかけて活躍した横綱で、薩摩藩の抱え力士として西郷隆盛に密書を送ったりしたことなどもあったが、幕内の間にわずか五敗しかしなかったので「負けず屋」の異名を取っていた。そのうちの一敗が小柳平助という前頭三枚目の力士に敗れたものであった。小柳は誰が見ても陣幕の敵ではなかったが、いつの時代も番狂わせというものは起きるのである。それは陣幕にとって不運なことであったが、小柳にとってもそのことは決して幸運とはいえなかった。というのも、その日を最後に小柳が土俵に上がることは二度となかったからである。

 

その夜、小柳は陣幕に勝ったことで有頂天になり、祝杯をあげ泥酔して部屋へ帰ってきてみると、弟弟子の不動山岩吉と殿り峰五郎が不貞腐れているように見えたので、これをしこたま殴りつけ、いい気持で深い眠りについていた。しかし、日頃から傲岸不遜で酒癖の悪い小柳に殴られて恨み骨髄に達していた不動山岩吉と殿り峰五郎の怒りは収まらず、脇差を用意して寝ている小柳を襲ったのだ。起き上がって抵抗した小柳だったが、二人から挟み撃ちにされ、脇腹に刀を突き立てられてはたまらず、ついには力尽きて帰らぬ人となってしまったのだった。

 

森鴎外の『渋江抽斎』に、この話が載っており、「陣幕久五郎の負けは当時人の意料の外に出た出来事である。」と述べているのだが、「抽斎は角觝を好まなかった。」とあるので、この角觝(かくてい)とは何だろうと調べてみると、シュアイジャオという中国漢民族の伝統武術・格闘技が「角觝」と呼ばれていた時代があったらしい。また、明治二十九年には今でいう相撲協会を「東京大角觝協会」といっていたそうだから、当時はまだ角觝という言葉が実際に使われていたことがわかった。